あやかしごはん After Story 浅葱

桜の木の下で、彼女が来るのを1人待つ。
僕が生まれたあの日から、この桜は満開の花を咲かせ続けていた。けれど、僕の力と共に桜の木の力も弱まり、花はほとんど散ってしまった。今では、木自体も徐々に枯れてきている。
その姿は、未来の僕の姿――。自分の行く末をまざまざと突きつけられているようで、胸が痛む。

そっと幹に手を当ててみたが、以前のような生命力はほとんど感じられない。
(まるで……今の僕のようだね)
きっとこのままでは僕も、この木も、この世界も……春を迎える事なく終わる。
もうループする力が残っていないのだ。
「春、か……」
繰り返す世界の中で、春だけは廻って来ることがなかった。
「一度だけでいいから、春を見て見たかったな」
それは願っても叶わない事。それでも、夢を見ずにはいられない。
「きっと美しんだろうね……」
暖かくて優しい風が吹き、桜の花びらが舞う中で、吟さんが作ったお弁当をみんなで広げる。謡が唐揚げに食いつくのを、詠が見て呆れ、蘇芳が謡の唐揚げを横取りする様子に萩之介が笑う。真夏さんは綴を肩車しながら、吟さんと話し、神様もそれに加わる。そんなみんなの様子を笑って見守る、楽しそうな彼女……。
それはとても幸せな時間のように思えた。
彼らが、紅葉村が、春を迎えるために、僕は自分に出来る事をしなくてはいけない。
改めて気を引き締める。例えその未来に僕はいなかったとしても、それでも僕がこの紅葉村や彼女にしてあげられる事があるのなら――そう、強く思った。

桜の木に全身を預けて、時が経つのを待っている。
目をつむると楽しい日々を昨日のことのように思い出せるのに、もう二度とその時間の中に戻る事はできない。
過ぎ去る時間の無情さを一番知っているはずなのに、今になって戻りたいと思ってしまう。
(そこに未来はないのに……)
そんな事をぼんやりと考えていると、遠くから彼女の足音が聞こえてきた。
気配のする方に視線を向けると、彼女がゆっくりと僕に向かって歩いて来る。その姿がとても強く見えた。
「浅葱君、来たよ……」
不安と緊張をその表情に携え、彼女はそれでも僕の目を真っ直ぐに見つめた。
怖いだろうに、逃げようとはしないその強く澄んだ眼差し。
一体どれほどのあやかしが、人が……救われてきたのだろう。
(僕は本当に、その眼差しが好きだったんだ)
「いらっしゃい……。待っていたよ」
「その姿……」
彼女は、いつもとは違う服を身につけている僕の姿に驚いている。
これは本来の僕の姿――。最後だから、この姿で彼女と話がしたかった。
「こっちに来て」
彼女の言葉に答えずに、手招きをすると彼女はゆっくりと近付いて来た。
目の前に立った彼女を見つめる。
(……これが最後になる)
分かっていたのに、いざとなると逃げだしたくなってしまう。
僕の方がよっぽど彼女より弱い。
そんな僕の弱さを、受け入れるように彼女も僕を見つめた。
これからその瞳が映すのは、極彩色の未来か、絶望の未来か……僕には分からない。
それでも、ここから始めないといけないんだ。
だから、今、問う――。
「真実を受け入れる覚悟は出来た?」
一瞬の逡巡の後に、彼女は答えた。
「もう……見て見ぬふりは出来ないんだね」
そう……この残酷な現実を見て見ぬふりは出来ない。だから、突きつけるよ。
それが、僕が君にしてあげられる、唯一の事だから――。


***


時間はあるべき場所へ戻り始めた。
偽りの時が終わり、真実の時が流れ始める。
僕に出来る事は、君を未来へ導くだけ。
「い、嫌だよ! 嫌! 浅葱君も一緒がいいよ!」
災害の起きない未来で、君はどんな幸せを見つけるんだろう。
どんな幸せを望むのだろう。
「いや……そんな悲しいこと言わないで!」
幸せな未来が君を手招きして待っているのに、どうしてそんな悲しい顔をするの?
少しずつ、彼女が見えなくなっていく。
「もっと話したい。お願い、行かないで。そばにいて……」
本当は僕もそばにいたい。君のそばに、いたい。
でも、僕はもう十分だから。
「行かないで!」
君には悲しい思いをさせてしまったけれど、僕は幸せだった。
力を使い果たし、消える未来しか残されていなかったとしても、君がくれた幸せで満たされていたから……僕は幸せだったんだよ。
「……なに? 何て言ったの?」
だから、もう十分。
「行かないで!」
視界いっぱいに広がる白い桜の花びらに、前が見えなくなる。
「今度は君の番。幸せになってね」
唯一の願いを言葉にする。言霊になって、願いが現実になるように祈りを込めて。
手を伸ばしても彼女には届かない。どんどん離れていく。その姿がやがて小さくなって見えなくなった。
「浅葱君!」
彼女の声だけが聞こえる。その声がする方向に手を伸ばしても、僕の手はむなしく宙を掴む。
「……もうこの手は、君に届かないんだね」
やがて、声も聞こえなくなってしまった。
さっきまで掌で感じていた彼女のぬくもりが、ゆっくりと消えていく。
それと同時に、記憶が、意識が……霞みだす。
大事なものが、大事にしたいと思ったものが、ひとつ、ひとつ、消えていく。
やがて、僕も……。
それはもう最初から決まっていた事。
「受け入れたつもりでも、未練は残るね……」
一筋の涙が頬を零れ落ちる。その雫はとてもあたたかくて、こんなにあたたかいものが自分の中から溢れ出て来た事に驚く。
一雫のぬくもりを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
走馬灯のように流れては消えていく記憶。
すべては、吟さんの願いから始まった。
その願いは僕を生み出し、時間をループさせ、彼女を紅葉村に呼び寄せた。
生まれてからそんなに長い時間は経ってはいないけど、その中で多くの人やあやかしの笑顔と優しさに触れた。そのそばには、必ずおいしいごはんがあった。
あたたかくて、ほかほかのごはん。
“おいしいごはん食べれば みんな幸せ”……その言葉の通り、みんな幸せそうに笑っていた。
彼女もまた、ごはんを食べながら笑っていたのを思い出す。
僕がずっと見てきた笑顔。
笑った顔、泣いた顔、怒った顔――どんな時も全力で生きていた。
僕は、ずっと見ていたよ。ずっと見ていたかったのに、もう見る事ができないんだね。
……ねぇ、君に言っておきたい事があったんだ。
もし、生まれ変わったら、もう一度君に出会いたい。
君に出会ってまた笑い合いたい。……そう言いたかった。
結局、言えなかったね。
さようなら、ありがとう。
いつか、またどこかで出会えたら、その時は……
どうぞ、よろしくね。

「どうか、どうか、幸せに……」

全身が光に呑み込まれ、僕はそこで意識を失った。

©honeybee

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