Special

リッカ birthday short story

「ふんふんふ~ん♪」
朝からずっとこの調子で彼女は、楽しそうに鼻歌を歌いながら、料理に勤しんでいる。
聞き慣れないメロディは、きっとこの時代の流行の曲なのでしょう。
「今日は随分と機嫌が良いんですね」
驚かせないようにそっと近づき、話しかけると、彼女は「はい!」と幸せそうな顔で笑った。
愛らしくくるくる変わる表情に、愛おしさが募り、額にそっと口づける。
「なっ!? ど、ど、ど、どうしたんですか、リッカさん!」
「どうもしないですよ。ただ、あなたにキスをしたいと思ったんです」
「突然だと驚きますよ~」
拗ねた口調でも嫌がっている様子はない。
「私も何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です! 今日はどうしても私一人で作りたいんです!」
「そう、ですか……」
「そんなにがっかりした顔をしないでください。あっ、それじゃあ、一つだけお手伝いをお願いしていいですか?」
「はい。何でも手伝いましょう」
私の言葉に、彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

* * * * * * * * *

「…………」
「なあ、これうまそうじゃないか?」
「…………」
「おーい? 聞いてるのか?」
「……聞いていますよ。いいんじゃないですか」
「だよな! んじゃ、これも買おう」
彼女の手伝いというのは、“おつかい”だった。
しかも、私とゼンだけではなく……。
「あっ、ゼン。それは今日は必要ないよ」
「なんだよ、静流。うまそうなんだからいいだろ?」
「お菓子は頼まれてない」
「ソラまでぐだぐだ言うんじゃねえよ! オレ様が買うって言ったら買うんだ! オレはこの菓子を食うんだ!」
ゼンだけでも手に余るのに、そこに静流とソラのお守りまで加わっていた。
「はぁ……」
「リッカ、さっきからため息をつき過ぎだよ。今日は特別な日なんだから、そんな顔をしてたら彼女が悲しむよ?」
「特別な、日……?」
「わっ、バカ! 静流! それはまだ内緒なんだよ!」
「あれ? そうだっけ……」
「そうだよ。静流、俺と一緒に野菜を取りに行こう」
「う、うん!」
強引にソラが静流の背中を押して、野菜売り場に向かった。
「あー、オレはジュースでも物色してくるかー」
「ゼン、行かせませんよ」
「げっ……」
「何が内緒で、何が特別な日なのか……話してもらいましょうか」
「うげげ……」

* * * * * * * * *

「リッカさん、お誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます」
「あれ……? びっくりしてませんか?」
「いえ、驚きすぎて、かえって冷静になっているんですよ。あなたの気持ちは嬉しいです」
「それならよかったです! 私、リッカさんの……彼女として、誕生日をお祝いしたかったんです!
サプライズにしたのは、リッカさんに驚いて欲しくて……。
でも、今日までリッカさんが自分の誕生日を思い出してしまったらって、ドキドキしてたんですよ。
リッカさんが誕生日を忘れていてくれてよかったです!」

にっこりと笑う彼女に、「ありがとう」と心からの言葉を返す後ろで、ゼンと静流とソラが何か言いたげにしているのが分かり、
睨みで制止する。
さっきゼンに全てを聞いたので、彼女がサプライズパーティーを企画してくれている事は知っていた。
野菜を片手に戻ってきた静流とソラにも話し、私は知らない事にしてもらったのだ。
「そうだ! 誕生日といえば、ろうそくについた火をふーって消すんですよ。リッカさん、やってみてください」
「私が……ですか?」
「はい! ふーって一気に消してください」
「ぷ……はははは、リッカだったら鎌で消した方が早いんじゃねえか! だはは」
「確かに。その方が早そうだ」
「もう、ゼンもソラも……リッカの邪魔をしない」
「へいへーい」
(後でゼンにはお仕置き、ですね……)
そう思いながら、彼女に言われるままにケーキの前に座る。
「それで、火をつければいいんですか?」
「はい!」
「あっ、危ないから火は僕がつけるよ」
彼女を気遣う静流に少し妬きそうになる私自身に驚きつつ、平静を保つ。
ゆっくりと火を灯し終えると、静流はソラに声をかけた。
「ソラ、電気を消してくれないかな」
「分かった」
リビングの明かりが消されれば、柔らかい闇が広がり、テーブルいっぱいに並んだ彼女の手作り料理が優しく浮かび上がった。
目前で揺らめく灯火から彼女へと視線を移す。
「もう消してもいいですか?」
「まだだめです! その前に……ゼンさん、静流君、ソラさん……いきますよ?」
彼女の言葉に三人はこくんとうなずく。
「……ん?」
「せーの……!」
彼女の合図で、4人は歌を歌い始めた。
その歌は誰かの誕生日の時に聞いたことがある歌で、死神の歌と違い、あたたかく優しい響きを持っている。
誰かが誰かの生まれた日を祝う、祝福の歌。
その歌を歌う4人の顔は、旋律と同様にあたたかく、とても優しかった。
「リッカさん、誕生日おめでとう!」
「リッカ、おめでと!」
「僕からもお誕生日おめでとう」
「……おめでとう」
歌の次には祝福の言葉。
宝物のような言葉に、私が返す言葉は――。

* * * * * * * * *

「ん……」
ゆっくりと目を開けると、そこにはまだ薄暗い闇が広がっていて、夜だと認識するのにそう時間はかからなかった。
「今のは……」
(……………………夢)
夢の中の私は死神で、隣には彼女。
そして、パートナーだったゼンに、静流に……ソラ。
ゼンと共に、彼女の魂を狩りに行ったのは12月のことで、私の誕生日は9月。
(その先の未来は……なかった)
だから、出会った後の未来ということでもない。
あり得ない時間。起こりうるはずがなかった出来事。訪れなかった未来。
(そんなものを夢に見るなんて……)
不快、というわけではない。けど、胸が締め付けられ、痛みを覚える。
言いようのない気持ちから逃れたくて、窓の外を見上げる。
夜空に、ひとつ、まるいまるい月。
ベールのように柔らかい光が、窓辺からこぼれおちて、私を包み込む。
「夜なのに、こんなに明るいなんて……」
闇の中に光を見つけたような気持ちになって、そっと身体を起こす。
月明かりにかざした手は、以前よりはるかに幼い。
高校生の身体は時々、私を戸惑わせる。
――彼女に会いたいと思った。
私を待つために使わせてしまった時間を、取り戻してあげたい。
彼女の魂さえあればいい、若さなどいらないと何度言っても、納得はしてくれず、一緒にいることに負い目を感じているのは一目瞭然だった。
もどかしいと思うのは、焦っているから。
彼女を安心させ、納得させる言葉を今の私はもっていない。
夢に見たような時間を彼女と過ごしたかった。
全身で、私を頼ってくる彼女を、思いきり甘やかしてあげたい。
なのに、今の私の身体と立場は、それを与える事が出来ない。
心の内に刺さってとれない棘は、じわりじわりと不安と焦りと諦めという毒を注入していく。
弱くなっていく意思と、心。
諦めたくない。諦める気もない。それでも、ふとした時に考えてしまうのだ。
彼女の幸せの在処、を。
教師と生徒というだけで世間は後ろ指を指す。
それがまして、これだけの年の差となれば……尚更だ。
「今夜はもう眠れそうにない……な」
けど、眠る以外の何かをする気にはなれず、そのまま横たわる。
自身が繰り返す呼吸の音に耳を澄ませながら目を閉じれば、そこには心音まで響きだす。
生きているだけでこれだけの音を発していることに気づかされて、落ち着かない気持ちになる。
(こんな気持ちで、彼女のそばにいる事が本当に彼女のためになるのか……。
成仏する時に交わした約束で、私は彼女の人生を縛ってしまったのかもしれない)
私ではない誰かに出会い、その人に恋をして、結ばれ、やがて結婚し、子を成す。
周りの人々から心から祝福される未来を約束で縛り、奪ってしまったのか……。
「はぁ……」
何度目かの寝返りを打ち、ため息をこぼす。
目の前の景色が歪んで見えるのは眠いからで、泣いているわけじゃない。
そう思うのに、頬はこぼれ落ちるあたたかい何かを感じ取っている。

――なあ――

「えっ……」

――お前って、そんなに悩むヤツだったっけ?――

いないはずの誰かに呼びかけられた気がして、思わず身体を起こし、振り返る。

――いつまでもそんなにウジウジしてんなら、オレ様が一発殴ってやろうか?――

眼前に広がるのは、月明かりに照らされたほの暗い闇と見慣れた家具。
(なのに……)
そこに、強気な顔で笑うバカがいるような気がして、鼻の奥がツンと痛む。
一緒にパートナーを組んでいた時は、あの横暴さと単純さとバカさ加減に辟易していたのに、今はその性格に救われている。
「そう。あなたはそういう人でしたね」
じっくり考えることが面倒だと、すぐに行動し、何度も失敗を繰り返していたのに、まったく懲りる様子はなく、悩むよりはやってみないと分からないと、間抜けな顔で笑っていた。
でも、その横顔は誰よりも強く、凜々しかった。
「殴れるものなら、殴って欲しいものですね。ですが、あなたに殴られるのは癪なので、遠慮しておきます。私は……」
言葉の先は、すぐそこまで掴めている。
あとは音を添えるだけ。
「私は、どんな未来が待ち構えていたとしても、彼女を手放す気はありませんし、必ず幸せにしてみせます。だから……」
涙が止まらないのは、懐かしさにやられたからだ。
「そこで、見ていなさい。ゼン……」
投げかけた言葉は、月明かりの中に消えてしまったけど、あのバカが満足そうに笑った気がして、私まで笑顔になる。
小さく笑って、涙を拭い「ありがとう」と言うと、月明かりが優しく揺れた。

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