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  • 【理緒】「……玲音が遠くに行っちゃったみたい」

    【玲音】「何だよ……急に。オレはここにいるじゃん」

    ぽつりとこぼれた私の言葉を、玲音の耳は聞き逃さなかった。

    【理緒】「そう言う意味じゃなくて……」

    (……どう言っていいか分からない)

    もごもごと口ごもる私の横で、玲音はため息をついた。

    再び、沈黙が訪れる。

    【玲音】「……遠くなったのは、お前だろ」

    張りつめるような静寂の中で……玲音は呟いた。

    【理緒】「……えっ? ど、どういう意味?」

    【玲音】「んなことは自分で考えろ」

    どこかふてくされたように、玲音は言う。私をじろっと睨んで、玲音は視線を逸らした。

    【理緒】「……」

    (玲音は、私が遠くなったと思ってる……? でも、どうして……)

    そして、また黙り込んでしまう私達。手探りで会話をしているような感覚にとらわれる。

    (……まだ帰りたくない。このまま、玲音と一緒にいたい。でも……)

    (どうしよう……)

    私達はしばらく、ブランコに座り続けていた。

    すると、静寂を破り、口を開いたのは玲音だった。

    【玲音】「……彼女と……」

    【理緒】「彼女?」

    【玲音】「彼女と、別れたから」

    玲音が、突然そう言った。

    【理緒】「え、別れたって……本当に?」

    信じられなくて、もう一度、聞き返す。すると、玲音は少し呆れたように頷いた。

    【玲音】「嘘ついてどうすんだよ……。ああ、そうだ。別れたんだよ」

    【理緒】「そう、なんだ……。でも、どうして?」

    【玲音】「今は、レヴァフェに集中したい。ま、そーゆーことだ」

    【理緒】「そ、そっか。今が一番大事な時だもんね」

    【玲音】「ああ。ってことだから、また遊びに来てもいいからな」

    口調は素っ気ない。でも、ほんの少し……玲音の頬は赤く染まっている。

    【理緒】「えっ……」

    【玲音】「だってこの前言ってたじゃん。彼女いるなら来ないって。だから、一応言っておこうと思ってさ」

    【理緒】「う、うん……。分かった」

    気恥ずかしそうな横顔を見ながら……私の気持ちは、ちょっと複雑だった。

  • 【つむぎ】「…………」

    つむぎ君はベースで単調な音を繰り返し弾き始めた。きっと指の運動みたいなものだと思う。

    曲といえるようなものじゃないのに、つむぎ君の表情はとても楽しそう。

    【理緒】「……つむぎ君って、ホントにベースが好きなんだ」

    【つむぎ】「……は?」

    口をついて出てしまった感想が、練習の手を止めさせてしまった。

    【理緒】「あっ、邪魔しちゃってごめんね」

    【つむぎ】「いや、反対にそこでじっとされてる方が気持ち悪い。 だからなんかテキトーに話しててよ」

    【理緒】「いいの?」

    【つむぎ】「いーよ。あんたと話すの嫌いじゃないし」

    (嫌いじゃないってことは、つまらなくはないってことだよね)

    素直じゃない言葉に笑みがこぼれる。

    (話していいって言うなら、何を話そうかな)

    【理緒】「じゃあ……。ベースとギターって何が違うのかな?」

    【つむぎ】「はぁ? あんた、そんなこともしらねえの?」

    【理緒】「何となくは知ってるけど……詳しくは知らないから、教えてほしいなって思って」

    【つむぎ】「もしかして、ベースのことギターの低音パートぐらいにしか思ってない?」

    【理緒】「う、ごめんね……。あまり楽器のこと詳しくなくて」

    【つむぎ】「謝ることじゃねえよ。俺も最初は知らなかったし」

    怒られるかと思ったら、予想に反してつむぎ君が好意的に話してくれて、ほっとする。

    【つむぎ】「あー……じゃあ素人のあんたにも分かりやすく言うけど」

    【理緒】「うん、お願いします!」

    【つむぎ】「ドラムみたいにリズム取りながら、ギターみたいにメロディもサポートする楽器がコイツなの」

    【理緒】「そうなんだ……」

    【つむぎ】「だからベースが無いと曲が薄っぺらくなるワケ。分かる?」

    【理緒】「何となくだけど、分かる気がする」

    曲が薄っぺらくなると言われて、つむぎ君が入る前の玲音の言葉を思い出した。

    【理緒】「そっか……」

    【つむぎ】「なんだよ」

    【理緒】「つむぎ君がレヴァフェの曲に初めて音を入れてくれた時、あんなにも曲が魅力的になったのはそういうことだったんだね」

    【つむぎ】「なんだ、ちゃんと感じてんじゃん」

    【理緒】「ベースって、縁の下の力持ちって感じかな?」

    【つむぎ】「曲を影で支配してんのはベースなんだよ」

    【理緒】「そうなんだ!」

    【つむぎ】「ライブの時、俺がこの瞬間をコントロールしてるんだって思うと……ゾクゾクする」

  • 肩を揺らす私の前に座って、久遠先輩は化粧水やら下地を次々に私の頬につけていく。

    (ちょっとくすぐったいな)

    動くと失敗する、と鈴原さんに怒られた事を思い出し反射的に身体を硬くする。

    【久遠】「さっきの話聞いて思ったんだよ。レヴァフェのためって言うより、理緒のために可愛くしてやりたいって」

    【理緒】「私のため?」

    【久遠】「そ。だって、俺、理緒の事好きだし」

    【理緒】「えっ!?」

    (今、好きって言われた……? でも、久遠先輩の事だから仲間としてとかそんな意味だよね)

    【久遠】「その好きな子が悪口言われてるなんてたまんないからな」

    【久遠】「理緒は一生懸命で、真面目で、優しくて……。それなのに見た目でバカにされるなんて悔しいじゃん」

    【久遠】「だから、俺が変えてやるよ。周りが理緒に惚れちゃうくらい、可愛く、な?」

    【理緒】「ありがとうございます。私、本当にこういうの苦手で……だから嬉しいです」

    【久遠】「そうやって素直にお礼が言えるところも、理緒のいいところだよ」

    眼前の久遠先輩は慣れた手つきで、ファンデーション、アイシャドウと終わらせていく。

    【理緒】「褒められていますか?」

    【久遠】「ああ。たーっくさん褒めてるよ」

    【理緒】「なんで、そんなに褒めてくれるんですか?」

    【久遠】「女の子って、褒めれば褒めただけ、キラキラ輝くんだ。分かりやすいくらいにな」

    【久遠】「だから、いい女のそばには必ず褒め上手な男がいるんだ」

    【理緒】「そうなんですか?」

    【久遠】「ああ。そうだ。だから、今日は俺がいっぱい褒めてやるからな」

    【久遠】「そしたらお前も輝けるだろ?」

    【理緒】「あ、ありがとうございます」

    【久遠】「理緒は俺の大事な友達であり、レヴァフェの大事なマネージャーだからな」

    【理緒】「……ちょっと照れますね」

    【久遠】「そういうとこも可愛いと思うぞ」

    【理緒】「も、もう……先輩、からかわないでください」

    【久遠】「ははっ、からかってねえよ」

    【久遠】「理緒、唇突き出して」

    【理緒】「こ、こうですか?」

    【久遠】「ん。そう。グロス塗るからしばらくしゃべるなよ」

    返事の代わりにコクンと頷く。

    メイク中だって事は分かっているけど、ありえないほど近距離で久遠先輩が私を見ている。

    ぼやけた視界でもそれが分かって頬が熱を帯びていく。

    なんだか戸惑ってしまい、視線の置き場に困る。

    そんな私に気付いて久遠先輩は小さく笑いながら、最後に小指でリップグロスを塗って……。

    【久遠】「はい、完成」

    【理緒】「本当ですか?」

    【久遠】「ああ。我ながら上出来だ。はい、眼鏡返す」

    【理緒】「ありがとうございます」

    眼鏡をつけるとすぐに視界がクリアになる。思っていたより久遠先輩の顔が近くにあって思わず顔をそらしてしまう。

  • 振り返ると、泣きそうな顔をした亜貴ちゃんがいた。

    亜貴ちゃんは眉間に皺を寄せ、何か言いたそうに口を開くけど、言葉が出てこない。

    【理緒】「亜貴ちゃん……?」

    【久遠】「どうしたんだ、亜貴」

    私達は亜貴ちゃんの正面に立って、次の言葉が出てくるのを待った。

    【亜貴】「……実は、歌詞が書けないんだ」

    私達の耳に亜貴ちゃんの辛そうな声が届く。亜貴ちゃんは目を伏せ、唇をわずかに震わせた。

    【亜貴】「クリスマスライブだし、メジャーデビューのきっかけを掴めるチャンスになる曲だから……」

    【亜貴】「今までみたいな歌詞じゃなくて、ちゃんとした恋愛ものにしようと思ったんだ」

    亜貴ちゃんはわずかに下唇を噛んで、拳を震わせた。

    【亜貴】「だけど僕の嘘偽りない言葉を並べると、どうしてもいつもの歌詞になっちゃう……」

    【亜貴】「いつもの、失恋の悲しい歌詞になっちゃうんだ……」

    【理緒】「どうして、そうなっちゃうの?」

    その理由が知りたくて、思わず聞いてしまった。

    【亜貴】「僕……」

    躊躇いがちに亜貴ちゃんは、口を開いた。

    【亜貴】「好きになっちゃいけない人を好きになってしまったから」

    亜貴ちゃんが誰かを好きだなんて、初めて知った。

    【久遠】「……」

    久遠先輩も同じらしくて、目を見開いて驚いている。そんな私達の前で、亜貴ちゃんは淡々とでも、時々辛そうに言葉を紡いだ。

    【亜貴】「その人の前じゃ気持ちを殺して嘘ついて愛想笑い。気持ちを伝えられるはずなんかない……」

    【亜貴】「だって、気持ちを伝えてしまったらその人は僕を軽蔑すると思うから……」

    【亜貴】「その人に嫌われるくらいなら、言わない方がいい。大切な人が僕から離れていくのは……もう嫌だから」

    【亜貴】「でもその人が誰かと仲良くすると、腹が立つんだ。すごく滅茶苦茶にしたくなる……」

    【亜貴】「そうして、僕の中は薄汚れたもので積もっていく。僕は醜い人間だよ……」

    そんな事ないよって否定したかったけど、亜貴ちゃんのことを知らなかった私には、とても言えなかった。

    【亜貴】「それなら、その人と結ばれたことを想像して書けばいいって思ったんだけど……」

    【亜貴】「今度は、両親のケンカしてる姿ばかり浮かんで……」

    【亜貴】「ずっと、人の心が離れていく様を15年間見せられてきたんだ」

    【亜貴】「毎日毎日、汚い言葉で罵り合って、僕達がいることなんかお構いなし」

    【亜貴】「挙句の果てには、他に男を作って大事な弟を連れて出て行く……」

    【亜貴】「そんな両親をずっと見てきて、愛を誓い合った人間の末路なんてこんなもんだって思った僕に愛の歌詞なんか書けるわけない……」

    【亜貴】「ねえ、愛って何? 人を愛する事って幸せな事?」

    【亜貴】「いつか終わりが来るって分かっていて、人を愛する事に意味なんかあるの?」

    【亜貴】「……人を、愛したところでこんなに苦しいだけなんだよ」

    【亜貴】「僕には……それが分からないんだよ……ッ」

    その悲痛な声に、胸が張り裂けそうになった。

  • 【理緒】「どう? 亜貴ちゃん」

    【亜貴】「うーん、今はメロディから伝わる印象を掴んでるところなんだ」

    【亜貴】「あ、君も一緒に聴く?」

    それは私が亜貴ちゃんの誕生日にプレゼントした、水色のイヤフォン。

    【理緒】「あっ、これ使ってくれてるんだ」

    【亜貴】「うん。君にもらったものだからね。どうぞ」

    そう言って片方のイヤフォンを私に差し出した。

    【理緒】「ありがとう」

    私はそれを受け取って、亜貴ちゃんの横に座った。

    【亜貴】「明るい曲だよね」

    【理緒】「うん、玲音の言う通り、クリスマスらしいよね」

    亜貴ちゃんは頷いて、まだタイトルも出来ていない曲を鼻歌で歌い始めた。

    わずかに触れ合った腕、耳当たりのよい鼻歌。

    それらは私に伝わり、身体の中へと染み渡っていくようだった。

    (なんだろう、こうしてそばにいるのはいつもの事なのに、ちょっと胸のところが熱い)

    【理緒】「亜貴ちゃんは、いつも歌詞考える時ってどうやって言葉を選んでいるの?」

    【亜貴】「メロディから受ける印象を言葉に落としてるんだ」

    【亜貴】「なんて言えばいいんだろ……音のカケラを拾って、そこに名前をつけていく感じ、かな」

    【理緒】「音のカケラ…」

    【亜貴】「仮にも歌詞を考えてる人間なのに、上手く説明出来なくてごめんね」

    苦笑しながら、また音に耳を傾けた。

    【理緒】「歌詞、出来そう?」

    【亜貴】「なんとなくイメージはあるんだけど、ちょっとどうしようかなって思ってるんだ」

    【理緒】「そうなんだ」

    その笑顔は困ったように見えて、私には、陰りがあるように思えた。

  • Encore scenario King

    雨の中、玲音と傘をさして歩く。

    手にはガサガサ揺れる買い物袋。その中には、お泊り用に買った私の歯ブラシも入ってる。

    【理緒】「ねえ、玲音。本当に良かったの? 歯ブラシとか、パジャマとか……色々買ってもらっちゃって」

    【理緒】「……今日は玲音の誕生日なのに、私が逆にプレゼント貰っちゃってるみたい」

    買い物袋の他に、もう1つ私が下げている可愛いショッパー。その中には、玲音が買ってくれたパジャマが入っていた。

    「別にいい」、と言ったのだけどオレん家に泊まるときに必要だろ、と玲音が譲らなかったのだ。

    一度言い出したら聞かないのはもう十分過ぎるほど理解している私は、玲音の言葉に甘えるしかなかった。

    【玲音】「オレが買ってやりたいんだからいーんだよ。それより、ケーキは? お前とケーキも食いたい」

    【理緒】「あ、そ、そうだね。どうする? どんなケーキにする?」

    【玲音】「……あれがいい」

    玲音の視線の先にあるのは、アイス屋さん。その店頭には『バースデーにはアイスケーキ!』のタペストリー。

    可愛い動物が乗ったアイスケーキがプリントされていた。

    【玲音】「あのタヌキ、お前に似てるからあれがいい」

    【理緒】「ちょっ、ひどい! じゃ、じゃあその隣にいるよく分からない動物は、玲音ね?」

    【玲音】「お前の隣にいるなら、何でも構わねーよ」

    【玲音】「ほら、買って帰るぞ」

    さりげなく言われた一言に、胸が弾む。

    (うう……玲音ってば、色々ずるい……!)

    【理緒】「私も玲音の隣にいられるなら、タヌキでもいいよ」

    思わずこぼれた本音に、玲音は少しだけ目を大きくしてから顔をくしゃくしゃにして笑った。

    それから、私達はアイス屋さんに寄って、アイスケーキを買って帰った。

  • Encore scenario Bishop

    【理緒】「最近元気ないような気がするんだけど、何かあったかな?」

    【つむぎ】「あー……気付いてたんだな」

    【理緒】「やっぱり……。いつもと違うなって思って」

    【理緒】「最初は早起きが辛いのかと思ってたんだけど、なんかそれだけじゃない気がしたの」

    【理緒】「もちろん、話したくない事ならいいんだよ」

    【つむぎ】「いや、大丈夫。それに、あんたに話せない事なんてねーから」

    【理緒】「何か、あったの……?」

    つむぎ君は一呼吸置いてから、私を見た。

    【つむぎ】「もうすぐ、兄貴の命日なんだ」

    【理緒】「そうだったんだね……。だから元気なかったの?」

    元気を出して欲しいと思ってつむぎ君の頭を撫でる。

    【つむぎ】「そんなつもりじゃなかったけど……そーみたいだな」

    つむぎ君は私の手つきにくすぐったそうにしながら、少しだけ笑った。

    【理緒】「もし、つむぎ君が嫌じゃなければ、だけど……お兄さんの話、聞きたいな」

    【理緒】「前にちょっと聞いた事あったけど、まだ知らない事も多いから」

    【つむぎ】「んー……ちょっと長くなるかも」

    【理緒】「つむぎ君のお話なら、ずっと聞いてたいよ。だから、お願いしていい?」

    つむぎ君は頷いて、額を重ねた。その目が、少し考えるように斜め上へ泳ぐ。

    【つむぎ】「兄貴は……とにかくバカだった。バカで、横暴で、強引で、ワガママ。兄貴のくせに弟の俺に譲ってくれたりしねーし、人でなしじゃね?って、思うトコもあった」

    【つむぎ】「よく外で殴り合いのケンカもしてた。さすがに警察の世話にはならなかったみてーだけど」

    【理緒】「ちょっと玲音に似てるね」

    【つむぎ】「そうかもしんない。それから……」

  • Encore scenario Rook

    【理緒】「帰ります」

    【久遠】「お、おい、なんで帰るなんて言うんだ……」

    【理緒】「悩みも話してもらえない、迷惑もかけてくれない。心配もさせてもらえない、甘えてももらえない」

    【理緒】「なら……私、久遠先輩の隣にいる価値、ないですよね」

    【久遠】「違う、それは……!」

    伸ばされた久遠先輩の右手。

    私は、その手を振り払った。

    【久遠】「……っ!」

    【理緒】「ごめんなさい。このままじゃ、もっと嫌な事を言って久遠先輩を困らせてしまいそうだから……」

    【理緒】「私、今日はもう帰ります」

    頭を下げて部屋のドアに手をかける。すると久遠先輩の手がそれを制した。

    背中越しに壁に押さえつけられたような体勢になってしまう。

    【久遠】「待ってくれ、俺は……何を間違えた?」

    【理緒】「……私は、キスするだけが恋人じゃないと思っています」

    【理緒】「困っている時は一緒に悩んだりそれが出来なくても、話を聞いてあげたり……そういう事で心が通じ合えるんだと思います」

    【理緒】「私は先輩が好きだから、元気がなかったら笑顔にさせたいし、困っているなら一緒に悩みたい」

    【理緒】「でも、久遠先輩はそういうのを隠して上辺だけの会話をしてキスをする」

    【理緒】「そういう恋人でいいんなら……私には向いてないです」

    【久遠】「……」

    【理緒】「……ごめんなさい」

    もう一度頭を下げると、久遠先輩の手が緩んだ。

  • Encore scenario Rook

    お弁当を食べ終わると、私達はまた桜並木を歩き出した。

    【亜貴】「今日は家族連れが多いね」

    【理緒】「いい天気だから、みんな散歩に来たんだね」

    【男の子】「わっ!!」

    話していると、どこからかやってきた男の子が、亜貴ちゃんの足にぶつかってしまった。

    あまりに勢いよくぶつかったみたいで、その子は、そのまま後ろへ転げてしまう。

    【男の子】「うっ……」

    【亜貴】「だ、大丈夫!?」

    【男の子】「うっうぇええ……!」

    泣き出す男の子を見て、亜貴ちゃんはすぐにしゃがむと、男の子を立たせた。

    【男の子】「うっうぇえううっ……」

    そして、その頭を優しく撫でる。

    【亜貴】「いたいいたいしちゃったね。ごめんね」

    【亜貴】「でもすぐに、いたいいたいなくなっちゃうよ」

    【男の子】「ほ、ほんと?」

    【亜貴】「本当だよ」

    亜貴ちゃんは頷き、男の子がぶつけた頭に手を這わせた。

    【亜貴】「いたいのいたいのとんでけ~」

    その手が、ぱっと桜並木に放たれる。

    その次に、亜貴ちゃんは拳にした手を、男の子の前で広げた。

    【男の子】「ふえっ……」

    そこには、桜の花びらが1枚。

    【亜貴】「ほら、君のいたいいたいが、この中に閉じ込められちゃったよ」

    【男の子】「わぁ、ほんとだ~! すごいすごい!」

    【亜貴】「ふふっ、良かったね。もう痛くないね」

    【男の子】「うん、いたくない!」

    男の子は無邪気に笑う。

    【理緒】「ふふっ、よかったね」

    そこへ、人ごみをかき分けて男の子のご両親がやってきた。

    【男の子の母親】「うちの子がぶつかったのに……すみません!」

    【男の子の父親】「本当に申し訳ない!」

    【男の子】「ママー! パパー!」

    【男の子の母親】「あなたもごめんなさいしなさい」

    【男の子】「ご、ごめんなさい」

    【亜貴】「いいえ、いいんですよ。それより、この人ごみですから、手を離さないであげてくださいね」

    【男の子の母親】「はい!」

    【男の子の父親】「気をつけます」

    【亜貴】「お父さんとお母さんの手を離して、どこかに行っちゃダメだよ。君がいなくなったら、お父さんとお母さんは、いっぱい泣いちゃうからね」

    【男の子】「うん、分かった!」

    【亜貴】「いい子だね」

    【男の子】「お兄ちゃん、お姉ちゃん、バイバーイ!」

    【理緒】「バイバイ」

    男の子は母親と手を繋ぐと、私達に手を振って去っていった。

    その姿を見送りながら、私達も手を振る。亜貴ちゃんは、男の子の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

    【理緒】「亜貴ちゃんのいたいのいたのとんでけ、久しぶりに聞けた」

    【理緒】「私、昔ね……。亜貴ちゃんは魔法使いだと思ってたんだよ」

    【亜貴】「ええ!? 僕が魔法使い!?」

    【理緒】「だって、痛い時や悲しい時、亜貴ちゃんはいつもあの言葉を言ってくれたでしょ」

    【理緒】「あの言葉を聞いたら、いつの間にか平気になって、あっという間に楽しい事に変わっちゃうの」

    【理緒】「あの男の子も、そうだった。亜貴ちゃんは今も魔法を使えるんだね」

    亜貴ちゃんはしばらく目を丸くしていたけど、立ち上がって、私の手を握った。

    【亜貴】「そんな事言ったら、君も……それに玲音も、僕には魔法使いだったよ」

    【理緒】「私はあんな事出来ないよ?」

    【亜貴】「2人はいつも僕のそばにいて、笑ってくれた。その笑顔ひとつで、僕を幸せにしてくれたんだ。昔も、今も」