黒曜駅まで来ると、人でごった返していた。
【悠 翔】「平日でも人が多いけど、休日は更に増えるなー」
【主人公】「そうだね……ん?」
正面のビルに飾られた大型ビジョンの映像が、ふいに目に飛び込んできた。
そこに映されていたのは、人気若手俳優の、有村乃亜だった。
彼が出演している新作グロスのCMらしく、彼の美しい瞳がアップから次第に引きになっていく。
女性と見紛うほどの美しい有村先輩に、グロスを持った美女が擦り寄っていった。
そして、有村先輩の唇へグロスをぬりたくる。
うつろな瞳に、半開きの唇、はだけたYシャツ。
そのどれもが人目を引き、CMが流れた時からクラスの女の子達から「セクシーだ」と評判だった。
そして、今、私の周りにいた女の子達も、同じようにうっとりしている。
【女性の通行人1】「ヤバイ! 乃亜かっこいー!」
【女性の通行人2】「ね! マジでエロすぎだよ、乃亜君」
【女性の通行人3】「鼻血もんだよー! ヤバイって、マジで! 乃亜に抱かれたーい!」
【女性の通行人1】「えー、それなら抱きたいでしょ!」
【女性の通行人2】「あはは! あんたが抱くの? 逆じゃん! でも、乃亜君ならありかもねー」
きゃあきゃあと黄色い歓声が上がるのも無理はない。
私でさえ、目を奪われてしまう。
ボーッと見ていると、隣の悠翔からも感嘆の息が漏れた。
【悠 翔】「ここが、今日から俺達が住むアパートだ!」
【那由多】「…………」
【悠 翔】「ぼ、ボロいとか言うなよ。俺達が借りられる限界が、ここだったんだよ」
悠翔は申し訳なさそうな顔をした。
私達は孤児院を離れ、今日から、黒曜区にあるこのアパートで暮らす事になる。
【主人公】「確かに……ちょっと古いけど! でも、私にはどんな場所より輝いてみえるよ」
【主人公】「だってここは、私達の力で手にした場所なんだもん」
【悠 翔】「……ああ、そうだな」
【那由多】「……今日から、ここが……俺達の、帰る場所」
帰る場所……その響きは、私の胸をあたたかいもので満たした。
【悠 翔】「なあ! どうした? ボーッとして」
【主人公】「あ……悠翔」
私に声をかけるのは、いつも悠翔だった。
私が1人でいると、悠翔はすぐに駆け寄ってこうして、手を差し伸べてくれる。
【悠 翔】「ほら、一緒に遊ぼう! な! 那由多!」
【那由多】「……ん」
悠翔の隣には那由多がいて、彼もぎこちないながら、笑いかけてくれた。
悠翔の手は、いつも私をわくわくさせてくれる。
今日は、何が待っているんだろう。
【主人公】「うん……遊ぶっ」
そんな期待から悠翔の手を握ると、彼は、力強く私を引っ張ってくれた。
【悠 翔】「でも、何して遊ぶかまで考えてなかったなー。なあ、何したい?」
【主人公】「うーん……」
悩んでいると、私達の頭上に桜の花びらが落ちてきた。
【主人公】「あっ……桜の花びら」
麗らかな春の日差しが差し込む午後。
遠くで、小鳥が鳴いている。
【主人公】「桜、綺麗だね……」
【那由多】「……うん」
孤児院の庭に咲く桜は満開を迎え、今が一番の見頃だった。
【主人公】「桜の花びらって、ハートの形だね」
【悠 翔】「ああ、ホントだ。よく気づいたな」
目を細めて見つめていると、那由多は突然ジャンプした。
何事かと思ったら、那由多は手をずいっとこちらへ向けた。
【那由多】「……取れた」
【主人公】「わあ、桜の花びら! 捕まえたんだね」
【那由多】「ん」
【主人公】「那由多、すごい!」
【那由多】「……あげる」
【主人公】「ありがとう!」
那由多の手から花びらを受け取ろうと、手を伸ばす。
【主人公】「あっ……」
けど、それより先に風がさらってしまった。
【主人公】「いっちゃった……」
【那由多】「……ごめん」
【主人公】「ううん、那由多のせいじゃないよ! 風さんのせいだよ!」
【那由多】「でも……」
【主人公】「じゃあ、今度はみんなで花びらをキャッチしよう! それをたくさん集める競争するの」
【主人公】「3人の中で、1番多く集められた人の勝ちなの。 どうかな?」
【悠 翔】「いいな、それ。俺は賛成! 那由多は?」
【那由多】「……ん」
【主人公】「じゃあ、決まりだね。勝ったら……今日のデザートがふえまーす」
【悠 翔】「あはは! じゃあ勝たないとな! いくぞー」
【那由多】「……がんばる」
【悠 翔】「よーい……どん!」
それから私達は、3人でぴょんぴょん飛び跳ねたり、走ったりして、花びらを捕まえた。
(これが、アイドルのコンサート……!)
明るい音楽、キラキラのスポットライト、絶えず響く歓声、ステージ上を彩る笑顔。
そのどれもが未知の世界で、ただただ驚くばかり。
(私達、役者が立つ舞台とは全然違う……)
(こんな世界もあるんだ……)
【悠 翔】「すごいなあ」
【主人公】「うん、すごい……! びっくりしちゃった」
一曲目が終わって悠翔と話していると、ステージにいた彼が観客に向かって手を振った。
【セ ラ】「こんばんは♪ 阿久根セラだよー」
【セ ラ】「今日もボクがみんなの事、 キラッキラの笑顔にしちゃうからねっ!」
彼はそう言うと、観客にウィンクをひとつ。
(そうだ、思い出した。あの人の名前……スパークルーカスで一番人気の、阿久根セラ君だ)
納得したところですぐに次の曲が流れ始め、残りのメンバー2人も登場する。
【ミサキ】「やっほー!! 紺之ミサキ、さんじょー!」
【ミサキ】「今日もいーっぱい楽しんでってー!」
【アキト】「みんなー、会えて嬉しいよ~。
常磐アキト、今日もみんなのために歌うからね」
3人は歌いながら器用に身体を動かし、アクロバティックなダンスを披露する。
その度に、観客から大きな歓声が上がった。
鉄の匂いが、濃くなっていく。
【乃 亜】「っはぁ……はぁ……」
有村先輩の息遣いで我に返り、慌てて顔を覗き込むと先輩は、私だけを映した目で微笑んだ。
【乃 亜】「大丈夫、だから……泣かないで……」
【主人公】「無理です……よ……」
【乃 亜】「あ、はは……それも、そっかぁ……っ! ごほっ! ごほっ!」
咳をする度に、生ぬるい液体が噴き出していく。
【乃 亜】「ごめん、ねぇ……こんな事になっちゃって」
【主人公】「有村先輩、もうしゃべらないでください! すぐに救急車が来ますから」
【乃 亜】「ん……ありがとう」
【乃 亜】「……なんか……眠い、なぁ」
言われて、気づいてしまった。
有村先輩の身体が、徐々に冷たくなっている。
【主人公】「ダメ……寝ちゃダメです!」
左手で身体を擦ってあげるけど、有村先輩の熱は戻ってこない。
傷口だけが燃えるように熱い。
【乃 亜】「俺、さ……君に会えて…………、幸せだったよ……」
【主人公】「やだ……最後みたいな事言わないでください……」
【乃 亜】「最後だよ」
有村先輩は震える手を持ち上げて、私の頬をそっと撫でた。
【乃 亜】「……だから、聞いて?」
【主人公】「やだ……やだ、です……。最後になんて、させません……」
【乃 亜】「泣き虫なんだから……。……笑って、お願い」
ぽろぽろと流れる涙を、有村先輩の指が拭った。
【主人公】「先輩……」
【乃 亜】「……こんなことになっちゃってごめん……ね。俺のことは、忘れて……。そして…………幸せになって」
【主人公】「やだ……先輩のこと、忘れるわけないじゃないですか! 一緒に幸せにならなきゃ、嫌です……」
【乃 亜】「それと……君の、演技は……きっと、多くの人を……幸せにする。そういう才能があるよ」
【乃 亜】「だからね……俺の言った事、信じて……これからも、演じ続けて……。約束だよ」
嗚咽を上げて泣く私に、有村先輩はただ、微笑んだ。
【乃 亜】「なんか……眠くて、目開けてられない…………。もう……眠っても、いいかな……?」
嫌だ……このまま二度と会えなくなってしまう。
そんなの嫌なのに……。
涙が、言葉の邪魔をする。
【乃 亜】「ねぇ……夢の中に、会いに来てくれる? 1人は、寂しいから」
またひとつ、先輩の指が涙をすくった。
その手に、自分の手をそっと添える。
震えるけど……ぎゅって、優しく握った。
【主人公】「もちろん、会いに行きます」
【乃 亜】「よか……った。やっと笑って、くれた……。君は、笑顔なのが、一番……いい……」
【乃 亜】「……やだなぁ……もうちょっと、君の顔、見ていたいのに……眠くて……ねむ、くって……」
【主人公】「もう、眠っていいですよ。怖い夢を見ないように、私が会いにいきますから」
【乃 亜】「……ぅん。ありが……と、う……」
【乃 亜】「おやすみ……大好き、だよ……」
【主人公】「っ……!」
【主人公】「おやすみ、なさい……先輩。私も……っ……大好きですよ」
泣きながら微笑むと、有村先輩も嬉しそうに笑って……
その瞳を、ゆっくりと閉ざした。
【 澪 】「……俺がこんなことを考えていたと知って、幻滅したか?」
【主人公】「え……?」
【 澪 】「お前は俺を師として純粋に慕っていてくれたのに……その気持ちを裏切ってしまって、すまないな」
こんな時にまで私のことを考えてくれる宇賀神先輩に、喜びよりも、申し訳なさが勝ってしまう。
【主人公】「幻滅だなんて……そんな風には思いません。でも、どうしたらいいのか分からなくて……」
【 澪 】「……悪い。弱っているお前に付け入るような真似をしてしまっているな。すまない」
【 澪 】「だが……お前を見ていると、放っておけなくなる」
【 澪 】「役者としても、人としても不安定なお前を、俺がこの手で支えてやりたい、と……そんな風に思わされるんだ」
【 澪 】「……桜坂ではなく、この俺の手で」
先輩の熱い吐息が微かに耳に触れ、思わずびくりと身を震わせてしまう。
【 澪 】「俺の想いを、受け入れて欲しい……」
【主人公】「…………」
私は完全に、言葉を失ってしまった。
先輩は、そんな私の頬をそっと撫でると、今にも泣き出してしまいそうな顔で……笑った。
【 澪 】「お前が、無事でよかった」
(先輩……)
そうして、再び抱きしめられる。
私は先輩を拒むことも、受け入れることもできず、ただ、されるがままになっていた。
(……告白を受けたのなんて、生まれて初めてだ)
(だけど……どうしてだろう)
(初めてのことのはずなのに、私、この戸惑いを知っている気がする……)
(前に……誰かにも、似た言葉を言われたような……)
けれどそれを思い出そうとすると、頭の奥がずきりと痛む。
(あ……まただ、この痛み……)
その痛みを受けるたびに、胸がむしょうにざわめいて、落ち着かない気持ちになる。
(何なの? この痛みは……)
(…………嫌……、怖い……)
(何も考えたくない。何も……思い出したくない……!)
形のわからない恐怖に心が追い立てられ、私はおそるおそる両手を伸ばした。
そして、宇賀神先輩の背中に手を回し、しがみつく。
恐怖から逃げようと、すがるように先輩のぬくもりを求めると、彼は私をさらに強く掻き抱いてくれた。
考えを巡らせることにも、恐怖に怯えることにも疲れてしまった私は……
そのまま、先輩の体温に身を委ねた。
【悠 翔】「…………」
【那由多】「……近い……ね」
【主人公】「うん……」
慣れ親しんだこの距離に、懐かしさと安らぎを覚える。
【那由多】「……狭くない?」
【主人公】「ん……大丈夫だよ」
【那由多】「あまり端だと、落ちる……。もっと、こっち……」
ベッドから落ちないようにと、那由多が私の身体を自分の方へ引き寄せた。
(……あ)
那由多の腕に力強さを感じて、私は少し驚く。
(那由多も、男の人なんだ……)
ずっと弟のように思っていた男の子が、いつの間にか私を包み込めるほど大きく成長していることに、今さらながらに気付く。
寂しい気持ちが無いといえば嘘になるけど、今は那由多の成長を嬉しいと思えた。
【主人公】「そ、そうだ。私ね、那由多にずっと言いたかったことがあったの」
気恥かしさを打ち消すように、声を張る。
首を傾げる那由多の顔を下から覗き込みながら、言葉を続けた。
【主人公】「あのね、那由多。一緒に更生プログラムへ参加してくれて、ありがとう」
【那由多】「え……?」
【主人公】「更生プログラムの誓約書にサインをした日……私を1人にしないって言ってくれたでしょう? あの言葉、私、すごく嬉しかったんだ」
【主人公】「共同生活なんて、那由多には特に怖くてたまらなかっただろうに、それでも一緒に飛び込んでくれて……本当にありがとう」
【主人公】「優しい那由多は、私の自慢の幼なじみで、家族だよ」
【主人公】「……って、改めてきちんとお礼を言いたかったの。随分遅くなっちゃったけど……」
【主人公】「だからね、那由多が約束してくれたように私にも約束をさせて。私も、那由多を1人にしないって」
私は那由多の手をとり、自分の手と重ねる。
【那由多】「……おまじない?」
【主人公】「うん。そうだよ」
互いの両手のひらを重ねて、指を絡める。
そして額をコツンと当てると、ゆっくりと目を閉じる。
両手から伝わる熱と、小さく聞こえる呼吸が私たちの心を静かに落ち着けていく。
【那由多】「……」
【主人公】「だから……安心してね」
私の誓いが、那由多の胸にきちんと届きますように――
そんな願いを込めて、囁く。
寂しい時も辛い時も、こうすると那由多は元気になってくれた。
今回だって、きっと……。
【那由多】「……やっぱり……あなたは、優しすぎる」
【主人公】「え……?」
【那由多】「俺はただ……自分が、1人になりたくなかっただけ。ずっと、あなたと悠翔のそばにいたかった……それだけ」
【那由多】「……俺は……弱虫なだけ、だよ……」
【主人公】「そんなこと――」
ない、と否定しようとした瞬間、那由多に力強く抱き寄せられた。
【那由多】「でも……嬉しい。あなたの言葉は……あったかい」
【那由多】「……ありがとう……」
(那由多……)
引き寄せられたことで身体が密着し、トクトクと小さく音をたてる那由多の鼓動が伝わってきて……
なんだかむしょうに泣きたい気持ちになる。
【那由多】「……あなたが、言うなら……俺も信じる」
【主人公】「……え? 何の話?」
突然の話題転換についていけず、キョトンと目を瞬いてしまう。
すると那由多は、小さく笑った。
【那由多】「あなた……言った、よね。アパートのみんなと、分かり合える時が来るのを信じてる……って」
【主人公】「あ……うん、言ったね」
【那由多】「俺はまだ、みんなのこと……怖い、けど」
【那由多】「あなたと悠翔は……俺の、唯一の家族で……信じられる人たち、だから」
【那由多】「2人の言葉なら……信じられる。だから……」
【那由多】「……俺も、あなたの言葉を信じて……頑張ってみる。みんなと……分かり合えるように……」
【主人公】「……っ!?」
(那由多の口から、初めて『頑張る』って聞けた……!)
【主人公】「那由多っ!」
【那由多】「わっ。………………痛い」
【主人公】「ご、ごめんね。でも、嬉しくて……!」
ずっと塞ぎこんでいた那由多が、初めて共同生活に対して前向きになってくれた。
その事実に、いてもたってもいられなくて……
私はぎゅうう、と那由多の身体を抱きしめる。
【主人公】「大丈夫だよ、那由多。先のことは分からないけど……でも、私達は1人じゃないから。一緒なら、頑張れる」
【那由多】「…………そう……だね。俺達は、いつも……一緒だった。悠翔も……」
【主人公】「そうだよ。だから…… みんなで一緒に、乗り越えていこうね」
【那由多】「…………ん」
全てが終わった後、阿久根君は私にしがみつくようにして眠りについた。
【セ ラ】「……ん……」
(阿久根君、寝顔はまだまだ子どもみたいだね……)
眠る阿久根君の目元が、月明かりを受けて、キラリと光った。
(これは……)
目をこらしてみると、それは大粒の涙で……。
(泣いてたの……?)
あどけなさの残る寝顔には、うっすらと涙の跡が残っている。
(……そっか。ちゃんと泣けたんだ)
なんだか安心してしまった。
【主人公】「泣けて良かったね」
涙の跡を、そっと指の背で拭いとる。
【セ ラ】「ん……」
阿久根君はくすぐったそうにすると、さっきよりも少しだけ穏やかな表情になった。
でも、私にしがみつく腕は緩めない。
何かに縋るように、何かを求めるように眠る阿久根君。
【主人公】「おやすみなさい……阿久根君」
真っ暗な世界で、ひとりぼっちは怖いから。
(……彼が見る夢が、優しければいい)
そう願いながら、目を瞑る。
全身を阿久根君のぬくもりが包み込む。
そのぬくもりが少しだけ悲しくて、涙が零れ落ちた。