Special SS

あるところに音楽を愛するどうぶつが集まると言われている、らんてつの森がありました。
たくさんの木々が生い茂る森の一角に、樹齢数百年を超えるふしぎなりんごの巨木があり、どうぶつたちはその樹の下で暮らしていました。
これはそんなりんごの樹の下に暮らす、とあるどうぶつたちのお話です。

「やっぱりこの森は落ち着くなぁ~♪」
旅好きの両親に連れられて、長く森を離れていたれっさーなるなるは、久しぶりのらんてつの森の中を一匹で歩いていました。
変わらない森の風景に嬉しくなり、自然とだいすきな歌を口ずさんでいましたが、旅先で知り合ったどうぶつたちのことを思い出し、途端に悲しい気持ちになりました。
彼らも音楽が大好きで、れっさーなるなるも彼らの楽器に合わせて一緒に歌ったり踊ったりすることがだいすきだったのですが、森に帰ることを告げると、急にそっぽを向かれてしまい、きちんとさよならすることもできませんでした。
「うー……やっぱりまだつらいなぁ」
きゅっとなる心臓の上をトントン叩きながら、森を進んでいくと、なにやらにぎやかな音が聴こえてきました。
おおきな葉っぱに身を隠して、音のする方を覗き込むと、切り株を取り囲んだたくさんのどうぶつたちがいました。そこには草食動物も肉食動物もいましたが、争っている様子はありません。
「なにやってるんだろう?」
ドキドキしながら見ていると、れっさーなるなるよりも小さなどうぶつが切り株の上によじ登り、その小さなからだからは想像も出来ないようなおおきな声で歌い始めました。
「え!」
れっさーなるなるはびっくりして眼をおおきくしました。周りのどうぶつたちは楽器を弾き始めたり、歓声を送ったり、とても楽しそうです。
「……すごい。すごい! すごい! おれもあそこで歌いたい!」
その日から、れっさーなるなるはまた誰かの前で歌うことの楽しさを思い出しました。

ある日のこと、ゆきひょうゆけゆけはくさっていました。
たまたま見かけた楽器隊の奏でる音楽に憧れ、無鉄砲に故郷を飛び出し、音楽を愛するどうぶつたちが集まると言われているらんてつの森に辿り着いたは良いものの、せっかく一緒に音楽をやれるどうぶつを見つけても、いつも問題が起きて長くは続かなかったからです。
故郷からずっと一緒だったくろひょうくろくろも、いつしか音楽を諦め、住処に決めたりんごの樹のりんごを育てる仕事に専念し始めました。
それでもゆきひょうゆけゆけはギターを抱え、らんてつの森で理想の音楽を探し続けています。でも、そろそろそれも限界に近づいていました。
「もう諦めて、くろくろの仕事でも手伝うか……」
そんな風にぼやきながら歩いていると、どこからか歌声が聴こえてきました。
「この歌声……」
それはまさに、ゆきひょうゆけゆけが追い求めていた理想の歌声でした。
急いで歌声を辿っていくと、どうぶつたちに囲まれた切り株の上で歌う、1匹のどうぶつが目に飛び込んできて、眼が釘付けになりました。。
「……見つけた」
木々の葉の隙間から降りてくる陽ざしを浴びて、ゆきひょうゆけゆけにはその歌声の主がキラキラと輝いて見えます。
「これだ……! これだよ!」
ゆらゆらゆれる自分のしっぽをギュッと握りしめ、ゆきひょうゆけゆけはある決心をしたのでした。

(またあのどうぶつがいる……)
切り株の上でのライブを終えたれっさーなるなるが家に帰ろうとすると、数日前にいきなり声をかけてきたどうぶつが木に寄りかかって立っていました。
れっさーなるなるをみつけると、眼をギラギラさせて近づいてきます。
「見つけた。この間は逃げられたけど、今日こそ話を聞いてもらうからな」
(こわい……! 食べられる……!)
自分よりおおきな肉食獣には気を付けなさいと両親に言われていたれっさーなるなるは、一目散に逃げようとしましたが、「逃げたい気持ちは分かる。でも、頼むから話を聞いてくれないか?」という切実な声に立ち止まりました。
「……話を聞くだけでいいんですか?」
こわごわ尋ねると、「できれば、話だけじゃなくておれと仲間の音を聴いてほしい」とそのどうぶつは言いました。
「おれのことだまして食べたりしませんか?」
「食べないよ。やっと理想の歌声に出会えたのに、食っちまったらもったいないだろ」
その言葉には頷けませんでしたが、どうぶつが真剣な眼をしていたので、れっさーなるなるはとりあえず付いていってみることにしました。
ゆきひょうゆけゆけと名乗ったどうぶつが連れて行ったのは、れっさーなるなるが暮らすりんごの樹の裏側でした。こんなに近くに住んでいたことに驚いたれっさーなるなるでしたが、もっと驚いたのはゆきひょうゆけゆけに紹介された仏頂面のくろひょうくろくろでした。
「おい。大事な用事だと言うから来てみれば、なんだこのチビは。おれはりんごの収穫で忙しいと言っただろう」
苛立たし気に揺れている真っ黒いしっぽと、めがねの奥の鋭い眼光に睨まれ、れっさーなるなるは縮こまってしまいます。りんごの入った籠を抱えているのがミスマッチで、余計に怖かったのです。
「そう言うなって、収穫はあとで手伝ってやるからさ。ほら、お前が睨むから怯えてるだろ?」
「……む。べつに睨んだつもりはない」
(睨んでるよ!!!)
れっさーなるなるは声に出すのを我慢して、心の中で叫びました。
「こいつにおれ達の音を聴かせたいんだ。いいだろ?」
「……なぜそんなことをしなければならない」
「こいつの歌声が最高に良かったからさ。お前も聴いたらまた音楽をやりたくなる」
「お前、まだ諦めていなかったのか」
「あいにくおれは諦めが悪いゆきひょうなんだ。それにお前のベースがほこりを被ってないことだって気づいてるんですよ?」
「……一度だけだぞ」
「あい♥」
ご満悦そうに笑うゆきひょうゆけゆけにおおきなため息をこぼすと、くろひょうくろくろはりんごの樹の家に戻り、りんごの入った籠を置き、代わりにベースを持ってきました。
「おれ達の音を聴いて、それでお前の満足いく音じゃなければ諦めるよ」
そう言うゆきひょうゆけゆけに、「諦めが悪いんじゃないんですか?」と聞くと、「そうだよ。だからお前が聴いてくれるまで、地の果てまで追いかけるって決めてたんだ」と言われてしまい、れっさーなるなるは背筋を伸ばしました。
(ちゃんと聴かないと帰してくれないかもしれない……!)
心配になったれっさーなるなるでしたが、2匹の演奏が始まるとそんな心配はどこかに飛んで行ってしまいました。
ゆきひょうゆけゆけのギターが自由に音を奏でるのを、くろひょうくろくろのベースがじょうずにまとめ、ひとつの音楽が出来上がっていました。
2匹の演奏が終わると、れっさーなるなるは自然と拍手をしていました。
「次はお前の番だよ。おれ達が弾くから、歌ってくれないか」
「は、はい!」
2匹の演奏に合わせて、れっさーなるなるが歌い始めると、すぐにくろひょうくろくろの表情が変わりました。
(楽しい……歌えるだけでも良かったけど、やっぱり誰かと一緒に音楽をやると、こんなに楽しいんだ!)
れっさーなるなるは、みんなで音楽をすることの楽しさを再確認しました。

その日から、3匹でのバンドが始まりました。切り株の上でライブをして、並んでりんごを食べたりと楽しく過ごしていたのも束の間、すぐに問題にぶちあたりました。
たまたまライブを見に来ていたらんてつの森の長から、「君たちの音楽は素晴らしいが、遊びがない」と言われてしまったのです。
「遊びってなんだろう?」
小さな頭でうんうん唸るれっさーなるなる。片耳を掴んで引っ張るのはれっさーなるなるの癖でした。
「そうだな……まぁ、あまり思いつめても見つからないだろう。りんごでも食べなさい」
「ありがとう、くろくろ!」
くろひょうくろくろが差し出してくれたりんごを「おいしいな~♪」と食べていると、どこかに出かけていたゆきひょうゆけゆけが戻ってきました。
「さっきそこで噂を聞いたんだ。いままで見かけなかったちょっと変わった奴が森の端に住み着いたって」
「それくらいよくあることだろう。おれ達だって最初はよそ者だったんだからな」
「そうだけど、そいつがドラムをやるらしいんだよ」
その言葉を聞いて、りんごに夢中だったれっさーなるなるも話に加わります。
「ドラム? ゆけゆけ、ドラムを叩くどうぶつがいるの?」
「ああ、腕はいいらしいから、会ってみる価値はあるかもしれない。今から行ってみようぜ」
自分達の音楽に足りないものを求め、3匹は噂のどうぶつに会いに行くことにしました。
噂を頼りに森の端に行くと、陽当たりの良いふかふかの落ち葉のベッドの上で真っ白いふわふわのどうぶつが眠っていました。
抱えているおおきなしっぽが気持ちよさそうだなとれっさーなるなるが思っていると、「北の方に住んでいるキツネだな」と物知りなくろひょうくろくろが言いました。
「ふわふわで気持ちよさそう……触ってみたいな」
「こいつも肉食だろ? 噛み付かれるかもしれないぜ」
「お、おれだって肉食だよ!」
「そういえばそうだった」
「忘れていたな」
とぼける2匹にれっさーなるなるが怒っていると、白いキツネがおおきなあくびをして目を覚ましました。
「んん~……気持ちよく寝てたのにうるさいなぁ~」
おおきな耳がぴょこぴょこ動き、こちらの様子をうかがっているようです。
「あんたたちだーれ? ぼくになんの用~?」
のんびりとした口調とは反対に、空を半分閉じ込めたような目がするどく3匹を見つめています。
「カナリヤからお前の噂を聞いたんだ。ドラム、やるんだろ?」
ゆきひょうゆけゆけの言葉に、ピクリと反応した白いキツネでしたが、「……あのうるさい鳥のしわざかよ」とうらめしそうに空を見上げます。
「おれ達、バンドを組んでるんだ! よかったら君のドラムを聴かせてくれないかな?」
「バンドぉ?」
れっさーなるなるが前に進み出ますが、不機嫌そうな白いキツネの態度に後ずさりしてしまいます。
「なんでぼくがあんたたちに腕前を披露しなくちゃいけないわけ? しかもこーんなでこぼこのおとぼけな3匹がバンド? 笑っちゃうんだけどぉ~♥」
「……なんだと?」
ゆきひょうゆけゆけが威嚇の声を漏らしますが、白いキツネは気にも止めずにニヤニヤと笑っています。
すると、いままで黙っていたくろひょうくろくろが口を開きました。
「お前のドラムは、おれ達にすら聴かせられない腕前ということか」
その言葉に、白いキツネの顔つきが変わりました。
「は? 誰に言ってんの」
「お前だ。キツネ」
「ぼくのドラムはサイコーだよぉ? この森の誰にも負けない」
「聴いていないのに分かるわけがないだろう」
「なにそれ、挑発してるつもり?」
睨み合う2匹をハラハラしながら見守っていたれっさーなるなるでしたが、先に折れたのは意外にも白いキツネのほうでした。
「いいよ、聴かせてあげる。……付いてきな」
白いキツネは3匹をうながすと、倒れた木の上を飛び跳ねていきました。
慌てて着いていこうとする3匹に「早く来なよぉ~のろま~♥」と白いキツネの声が森に響きます。
「なぁ、おれあいつ嫌いだ。食っていいか?」
「奇遇だな、おれもそう思ったところだ」
「おれも嫌いだけど、食べちゃダメ!!」
白いキツネを追いかけて木のトンネルをくぐると、古いドラムセットがポツンと現れました。昔はどうぶつたちが集まる場所のひとつでしたが、嵐で周りの木が倒れて誰も寄り付かなくなったようです。
「トクベツに叩いてやるんだから、ちゃ~んと聴いてなよ」
はじまった白いキツネのドラムは、古いドラムセットでの演奏とは思えないくらい圧倒的でした。息をするのも忘れ聴き入っていると、れっさーなるなるは自分の心臓がドキドキと飛び跳ねるのを感じました。
(口だけじゃない……ほんとうにすごい!)
興奮してしっぽをパタパタさせていると、演奏を終えた白いキツネがニヤリと笑って3匹を見ます。
「どう? ぼくのドラム、サイコーでしょ?」
「ああ……悪くなかった。なら次はおれ達の演奏を聴いてもらおう」
「はぁ? べつに聴きたくないしめんどくさ~い」
間に入るべきかとれっさーなるなるが動こうとしますが、ゆきひょうゆけゆけが首を振ってそれを止めました。
「ほう、逃げるのか」
「……逃げる? ぼくが?」
案外挑発に乗りやすかった白いキツネは、くろひょうくろくろの売り言葉に買い言葉で、3匹の演奏を聴くことになりました。
れっさーなるなるは目の前の白いキツネに向かって歌いました。ゆきひょうゆけゆけのギターとくろひょうくろくろのベースがそれを後押しします。はじめはつまらなそうにしていた白いキツネでしたが、聴いている内に、おおきなふさふさのしっぽが揺れはじめました。
3匹が演奏を終えると、白いキツネはフフンと鼻を鳴らして言いました。
「へったくそ~」
唸りだしたゆきひょうゆけゆけを抑え、くろひょうくろくろが前に出ます。
「そうだな。おれ達はまだまだへたくそだ」
「あはは、わかってんだ? ……でも、ぼくもまだまだ」
「……ああ、そうだな」
「まだまだだけど、これからもっともーっとすごくなるよ、ぼく」
「ああ」
「だから、そんなぼくがあんた達と一緒にやったら、あんた達の音ももっとよくなるよ。それっておもしろくない?」
白いキツネの言葉に、3匹は顔を見合わせました。
「……おれ達のバンドに入るってこと?」
れっさーなるなるが聞くと、白いキツネは「そぉだよ~。感謝しなよね♥」と笑いました。
「それから、ぼくの名前はキツネじゃないから。こんこんといといっていうかっこよくてかわいい名前があるの! わかった?」
「こんこんといとい……。うん! よろしく!」
れっさーなるなるがこんこんといといの両手を掴んでブンブン振ると、こんこんといといはうんざりした顔をしましたが、どことなく嬉しそうにも見えました。
その日から、れっさーなるなる、こんこんといとい、ゆきひょうゆけゆけ、くろひょうくろくろが奏でる音楽が森の中に響き始めました。

山あり谷ありな毎日でしたが、れっさーなるなるはだいすきな音楽を、だいすきなりんごを食べながら、仲間たちに囲まれて歌う幸せを噛み締めるのでした。

「……つ、……てよたつ! 起きてってば!」
天使の声に眠りの淵から呼び戻され眼を開けると、そこにはさっきまで楽しそうに歌っていた顔が俺を覗き込んでいた。
「んん……?! わぁ! れっさーなるなる!」
思わず声を上げた俺を、不思議そうに見つめてくる。風呂上りなのか髪が少し濡れているようだ。
「れっさーなるなる? たつ、寝ぼけてるの? あにまるぽりっしゃーはライブの時だけだよ~」
成海にくすりと笑われてしまい、俺は自分が天城家のリビングのソファで寝こけてしまっていたのだと思い出した。apple-polisherの4人と俺と、天城夫妻と飲んでいたのだが、夜はすっかり更け、リビングにはもう俺と成海しかいなかった。
「そ……そうだよね! あはは! 俺、夢見てたみたい」
「ぐっすり寝てたもんね。でもここじゃ風邪ひくから客間のベッドで寝よう?」
まだぼやっとする眼を擦っていると、キッチンの方から聞き慣れた低い声が俺の名前を呼んだ。
「なんだ、たつおはやっと起きたのか」
「出たなりんご農家!」
「は? 何を言ってるんだ。俺の実家は料亭だ」
訝し気にしかめられた忍の顔は、夢に見たくろひょうくろくろと同じだったけど、耳としっぽがないから、やっぱり人間の方なんだと思う。
「たつはまだ寝ぼけてるの? 話の続きは明日またしようね」
「はーい……」
やんわりと成海に促され、ソファから起き上がろうとする俺の耳に、成海と忍の会話が届いた。
「忍、夕星と有紀は? 見当たらないんだ」
「輝成さんと書斎で飲み直すと言っていた」
「え~! まだ飲んでるの? まったくもう……」
その時、なにかを掴もうとした成海の手が宙を掻き、「あ」という短い声に続いてポツリとひとり言が聴こえてきた。
「そっか。今の耳はここじゃないんだった」
くるりと振り向いた成海は俺と目が合うと、「シー」と人差し指を唇に当ててウィンクしてきた。耳を掴むのは夢の中のれっさーなるなるの癖だ。
(え……えええええええええええ???!)
俺は混乱する頭を抱え、再びソファに沈んだのだった。

カタカタカタ。
不要な明かりの落されたオフィスにキーボードのタップ音が響くのを、何とも言えない気持ちで俺は聞いていた。叩いているのは間違いなく自分の指なんだけど、利口な10本の指は俺が何も考えなくても数字や文章を作りだしてくれている。というのは半分冗談で、黙々とする作業に向いていない俺はこの時期によく街中で耳にする歌を口ずさんでいた。
「灯りをつけましょぼんぼりに~♪ ヘイッ」
誕生日を人に教える度に似合わないと言われるけれど、俺は結構気に入っている。雪がとけて春になっていくことを感じられる季節。
デスクに山積みになっていた書類は片付き、あとはメールを数件送るだけ。さすが俺!自分で自分を撫でてやりたいもんだね!
パソコンの画面の隅に表示されている時刻は23時を回ったところだ。こんな時間までひとりでオフィスに残ってるなんていつもの俺なら考えられない。しかも今日はただの平日じゃない。相模原龍雄(24)最後の夜!!!! なのだった。
音楽事務所兼レコード制作会社ダイナミックコード始まって以来の超ウルトラミラクルスーパー仕事が出来る男・相模原龍雄は当然ながら残業なんて滅多にしない。今日は例外中の例外だ。俺が支える天使のいるバンドは昨年、単独ライブや夏フェスへの出演、数々のアーティストが出演するハロウィンライブの大トリを務め、ドキュメンタリーディスクを発売し、勢いを付けていた。そのドキュメンタリーに使われた楽曲だって発売を控えている。ファンも増え、仕事のオファーも増え、露出も増えた。すると当然マネージャーである俺の仕事も増えるわけだけど、そこは仕事のできる男・相模原龍雄だからまったくもって問題ない。むしろ願ったり叶ったりってね。
たまに俺が天使を讃えるためにちょっっっとだけ私用で使っているSNSのバンド公式アカウントに送られてくる、俺に会いたくて震えるかわいこちゃんたちからのメッセージに最近なかなか答えることが出来ず歯がゆい思いをしていたが、それもこれも音楽の女神様も聴いたら立ち止まって宝石の涙をこぼしちゃうような天使・天城成海の歌声とその他諸々の奴らの音楽を世に広めるためだと思えば血の涙を呑んで俺は堪えようじゃないか。例えそれが誕生日の前夜でも!
(……少し集中力が切れてきたかもしんない)
気分転換に社内の自動販売機でコーヒーを買う。普段なら俺より残っていることが多い八雲パイセンは愛猫ニャン吉の世話があるとかで「明日はお昼を奢ってあげるから、いくら相模原が仕事ができるイケメンだとしてもほどほどにね。お疲れ様」と言い残して帰っていった。その先輩の優しさを思い出して夜のオフィスで泣きそうになる俺……泣いてないしちょっとだけ盛ったけど、まぁ大体そんな感じの会話をしたのが一時間ほど前だった。
本当は、今日は成海と食事の約束をしていた。去年の俺の誕生日にはまだ未成年で一緒にお酒を飲むことが叶わなかったから、今年は一緒に飲みたいという俺のわがままをあの天使の微笑みで快諾してくれた。「たつにはこの一年すっごくお世話になったから、今日は俺に奢らせてよ!」って、言ってくれたのになぁと溜息がこぼれる。こんな缶のブラックコーヒーなんかじゃなくて、美味しいお酒を飲んでいたはずだったんだ。もちろん誕生日だからと言って成海に奢らせるつもりはなかったけど。なのに俺は今オフィスにいる。突然仕事が差し込まれるのはマネージャーならよくあることだ。でも、これもあいつらの活動に繋がっていくと思えばなんてことない。
デスクに戻ってメールを起動すると、事務所のインフォメーション担当のスタッフからメールが転送されて届いていた。なんだろう? と思って開くと、それはapple-polisherのファン、Eve達からの俺の誕生日を祝うメッセージだった。さすが禁断の果実を食べて堕ちた同志。バンドメンバーだけでなくアダムの誕生日まで祝福を忘れないイヴはさすがだね。花丸あげちゃう。やる気がムクムクと溢れてきた俺は最後のひと踏ん張りと背筋を伸ばし、パソコンに向き合った。

「っしゃー! 終わった~! フゥーーー!!」
自分以外誰もいないオフィスで声をあげ、大きく伸びをする。凝り固まった肩をほぐすように回していると、キィとガラス扉が開く音がした。
「あ、いたいた。たつ、お疲れ様!」
その声にまさかと思って振り返ると、そこには夢にまで見た成海が天使の微笑みを携えて立っていた。え、これ幻覚? 俺ってば成海に会いたくてついに幻を生み出せるようになっちゃた??
固まっている俺の前に来た成海は「おーい、たつ~?」と言いながら手を振って、大きな目を丸くして俺を覗き込んでくる。
ちょっと鼻の頭が赤いのは外から来たからだろうか。ああ、でも俺が幻の成海と本物の成海を見間違えるはずがない。だからこれは現実だ! ハッとして俺の前に立つ成海を見上げると、「ん?」と小首をかしげる成海。天使!!
「成海! こんな時間にどうしたんだよ。もしかしてひとりで来たのか? 言ってくれれば迎えに行ったのに!」
矢継ぎ早に言う俺に、成海は笑う。
「たつをびっくりさせようと思って来たのに、たつに迎えに来てもらったら意味がないでしょ?」
約束を反故にした俺に怒るそぶりは全くない。成海は優しいから、キャンセルの連絡を入れたときだって俺を気遣う返信をくれたぐらいだ。
「俺達のために仕事を頑張ってくれているたつに差し入れだよ。それに、やっぱり誕生日を一緒に迎えたかったんだ」
そう言って、成海は持っていた大きな袋をドンッと隣の八雲パイセンのデスクに置いた。
「なになに?! なにこの大きな袋!」
「ふっふっふ~♪ なんだと思う?」
得意げに笑いながら、成海はその袋の中から大きな重箱を取り出した。
「たつとの約束がなくなって時間が出来たから、せっかくなら夜食の差し入れをしようと思って母さんと作ったんだ。ちょっとだけ早いけど、たつの誕生日と雛祭りのお祝いだよ!」
じゃじゃーん! と効果音付きで開けられた重箱の中には、色鮮やかなちらし寿司が敷き詰められていた。それもただのちらし寿司じゃない。
「な、成海……まさかこれって!」
タケノコで髪の毛を、海苔で目を、桜でんぶで大きな口を描いたそれに、俺は眼を見開く。
神様仏様ありがとう。俺がひたむきにこの一年生きてきたことをしっかりと見ていてくれたんですね。24歳最後の夜に最高のプレゼントです。
「天城家特製・たつちらし寿司だよ! 自信作! 料理はまだちょっと上手くできないけど、飾り付けや盛り付けは得意だからがんばったんだ~。……どうかな?」
ちぎり絵のように色とりどりの食材で形作られた俺が重箱の中でにこにこと笑っている。さっきまでのデスクワークの疲れなんか一気に吹き飛ばす威力があった。
「成海……俺、俺……!」
「どうしたの?」
「うわーーん! 俺うれじぃよぉおぉぉぉおぉぉおおおお!!」
「え! わわっ」
成海を抱き締めようと勢いよく両手を伸ばす。しかし寸でのところで俺は逆に引っ張られ、「ぐえっ」とカエルが潰れたような声が出てしまった。
「はいはい、そこまでな~」
背後から聞きなれた声が耳に届く。俺の首根っこを掴みあげて成海から引き剥がした張本人は呆れた声を漏らした。
「まったく……成海だけ先に行かせたらこれだもんな」
人の耳元で溜息を吐くとは無礼な!! その斜めの前髪切り揃えてやる!! ジタバタ暴れると「有紀、たつおの首が閉まっているぞ」という忍の声が届き、有紀は「ああ、悪い悪い」と俺のワイシャツの襟首を離し、まったく悪びれなくへらへら笑った。
「うっせーからこのまま締め上げちゃえばよかったのにぃ~」
いつの間に現れたのか、夕星は勝手に椅子に座って土足の足を乗せ、「なにこれおもしろ~い」と言いながらくるくると回っている。楽しそうなのはいいけど、そこ、加賀パイセンのデスクだってことは黙っていてやろう。俺が怒られそうだし。
「な、なんだなんだ!? ゴミ虫どもめ! 湧いてきやがって、さては俺と成海のことを邪魔しに来たな!?」
有紀の手から逃れ身構える俺に、成海がクスクスと笑いながら説明をしてくれる。
「違うよたつ。3人もたつの誕生日を祝いに来たんだ。ね、忍」
「まぁ、そんなところだ。それに、成海をひとりでこんな時間に外に出すわけにはいかないからな」
「くろくろってば過保護過ぎ。成海だってもうオトナなのにね~」
「たつおが腹を空かせてるんじゃないかと思ってさ、飯だけじゃなんだし、コンビニで酒も買ってきてやったんだから感謝しろよ?」
それはお前達が飲みたいだけだろ! と言ってやりたかったけど、いそいそとコンビニの袋からビールを取り出す有紀や、椅子でくるくる回って遊んでいる夕星を咎める忍、その様子を楽しそうに見ている成海、アーティストである彼らが普段ならいることのない夜のオフィスにいる光景がなんだか不思議に思えて、俺は口を噤んだ。
「でも、オフィスでお酒なんて怒られないかな?」
渡されたりんごのお酒の瓶を手にして心配そうに眉を寄せる成海に、忍が答える。
「そのことなら大丈夫だ。さっき事務所の入り口で伊澄社長と会ってな、事情を話して許可はとってある」
「伊澄社長が?」
「ああ、会食帰りに寄ったと言っていた」
「そうだったんだね! それなら安心だよ~」
「有紀ー、僕のワインは~?」
「はいはい、これな。忍は飲まなくていいのか? 飲みたかったら俺が運転代わるけど」
「自分の分のビールを確保しておいてどの口が言うんだ。お茶でいい。最初からそのつもりで来ているからな」
「バレてた。ありがとな、忍」
時計はもうすぐ0時を指すという所だった。「ほれ」と有紀に渡された冷えた缶ビール。気付けば全員が飲み物を持っていた。
カチコチ、カチコチ。
秒針が時を刻んでいく。スマホの時計を見ていた成海が、パッと華やいだ笑顔を俺に向けた。
「3月3日になったよ!」
「それじゃあ、乾杯といきますか」
有紀の声に、待ってましたとばかりに飲み物の蓋を開ける音が響く。
ぐるりと円になった4人が、俺に向かって缶だったり瓶だったりペットボトルだったりと、バラバラの形の盃を掲げる。
「たつ、誕生日おめでとう! カンパーイ!」
成海の音頭でぶつかり合う祝杯の声と鈍い音。
「っくはぁ! 今日もビールがうまーい! もう一本!」
「有紀……さすがにここではこぼすなよ」
「わかってるって、そんなヘマはしませんよ。ん? なんだこの写真の猫。あはは、ぶさいくだなぁ~。よし、落書きしよう」
「八雲が泣くからやめておけ」
「なるなる、ちらし寿司ちょーだい」
「うん! いいよ。どこから取ろうかな~?」
「どうせならたつおの顔のど真ん中からくり抜いてよぉ~」
「あはは! それいいな。俺にも取ってくれよ成海」
「もー! 順番だよ!」
「夕星、食べるならスマホはしまえ」
「え~。ヤダ」
4人はあっという間に思い思いにオフィスでくつろぎ始めてしまった。花見の季節にはまだまだ早いのに、その光景になんだか去年の4月、こいつらとお花見をした時のことを思い出した。あれから何度も飯は食ったし、思い出深い出来事はたくさんあったのに、あの時の笑い声と今がリンクして、まだ一年も経っていないのに、懐かしい気分になる。
夕星に紙皿に乗せたちらし寿司を渡してやりながら、成海が俺の様子をうかがって来る。
「たつ、疲れてるところにお邪魔してごめんね? もしかして、ひとりでゆっくりしたかった?」
ぼーっとしてしまった俺を不安そうに見つめてくる大きなその瞳に、思いっきり首を横に振る。
「邪魔だなんてそんなことある訳ないだろ! むしろ疲れなんかビューンって飛んでっちゃったもんね! 成海が来てくれたおかげ!」
「そっか、良かった~。明日また改めてお祝いしようね」
「今これだけ祝ってもらったんだし、俺は十分だよ~」
本心からの言葉だったけど、成海はそれを聞いて頬を膨らませた。
「俺達が祝いたいんだよ。たつは俺達の大切なマネージャーだもん、感謝の気持ちはこれくらいじゃ伝えきれないよ。だから明日もお祝いする! いいよね?」
天使の微笑みが向けられて、俺は目の前に水溜まりが出来てしまうのを誤魔化すように精一杯大きく何度も頷いた。
「あ、それとね。たつが何が欲しいのかわからなくて、誕生日プレゼントをまだ用意できてないんだ。何か欲しい物ある?」
成海の問いに、俺の答えはひとつだった。
「apple-polisherのサイコーの音楽!」
きょとんとした成海の顔が、自信に満ちた顔に変わっていく。バンドを背負うヴォーカルの表情だ。
「いいよ。禁断の果実をたつにあげる」
成海は天使だけど、かっこよくて凛々しくて、強い。
「もう食べれないよぉ~って泣くまで詰め込んであげる♥」
「そうだな。存分に味わってもらわないとな?」
「ああ、覚悟しておけ」
白毛もじゃと斜め前髪と眼鏡が成海の後ろでニヤニヤとした笑いを浮かべている。
「ああん? 望むところだ!」
夜のオフィスに5人分のバカ笑いが響く。その後、守衛さんに怒られるまで俺達はずっと騒いでいた。

と、これが相模原龍雄(24)から相模原龍雄(25)へレベルアップした夜のお話。天使が天使だった話を独り占めにするのは勿体ないから教えてあげるよ。俺ってばちょおおおおやさしー! あ、ゴミ虫どもはおまけね、おまけ。
……何が言いたいかって、俺達の食べた禁断の果実はどこまでも俺達を放してくれないって事。君も禁断の果実を食べた同志だから分かっちゃうよね?
25歳を迎えた俺は超超ウルトラミラクルスーパーな力でapple-polisherの音楽を支えていくよ。こいつらがまた新たな一歩を踏み出せるように。たくさんの人に、俺が愛するこいつらの音楽を届けたい。時に誰かの背中を押し、いつまでも色褪せずに、誰かの心に残っていくと信じてるから。

apple-polisherが生み出すサイコーの音楽を愛する……アダムからイヴへ。