「夜ー、おはよう!」
俺の幼なじみ――『心』は、いつもの調子で勝手に俺の家に上がり込んできては、満面の笑みを向けてきた。
「おはよう……の前に、するべき挨拶があるだろ?」
「あ、そっか。えっと……」
「夜、新年あけましておめでとうございます!」
「ああ、おめでとう」
お互いに軽く頭を下げて、ふっと笑い合う。
――今日は元日。1年のはじまりの日だ。
* * * * * * * * *
コートに着替え、2人で寒空の下を歩いていく。
向かう先は、初詣お決まりの神社。
「夜と一緒に初詣に行くの、もうこれで何度目になるかなぁ」
「さあ……毎年の習慣だからな。もう10回以上になるんじゃないか?」
「10回!? すごいね! わたし達、もうそんなに新年を一緒に過ごしてるんだ」
「そうだな……」
他愛もない話をしながら歩いていると、目的地に辿り着くのはあっという間。
毎年、心とともに訪れるこの神社は、今年もやっぱり参拝客でごった返している。
「うわ~……毎年のことながら、ものすごい人ごみだねぇ。
飲み込まれたら夜とはぐれちゃいそう」
そんな境内を眺めながら、心は毎年お決まりのセリフを口にする。
「ほら」
そんな彼女に、片手を差し出す。
すると心は、毎年決まって……
「ありがとう!」
明るい笑みとともに、俺の手をぎゅっと握りしめるのだ。
手を繋ぎながら参拝客の列に並んで、お参りをして、おみくじを引いて、また手を繋いで……。
もう何年と2人で築いてきた、お決まりの、変わらない新年の過ごし方。
その心地よさに浸っていると、片手からふっとぬくもりが消えた。
「もうだいぶ人が減ったから大丈夫だよ。
今年も引っ張っていってくれてありがとう、夜」
心はそう言って、両手をぶらつかせながら1人で勝手に歩き出す。
初詣も無事に終わったので、あとは家に帰るだけだ。
(変わったことと言えば……手を繋ぐ時間が短くなったこと、か)
小学生ぐらいの頃までは、初詣のために家を出た時から帰ってくるまで、こいつはずっと俺の手を離さなかった。
でも、中学に上がって……お互い思春期だったこともあり、
『手を繋ぐのは人ごみの中でだけ』という暗黙のルールが出来上がった。
そのルールが、高校生になった今でも引き継がれている……というわけだ。
それを少し寂しくは思うけれど……まあ、仕方ないことだろう。
俺達は別に、付き合ってるわけでも何でもない、ただの幼なじみなんだから。
(そう考えると、おかしな状況だよな。
はぐれないためとはいえ、年頃の男女が手を繋いで歩くなんて……)
そんな事を悶々と考えていると、心がにゅっと顔を覗き込んできた。
「な、なんだ?」
「なんだ、はこっちの台詞だよ。
夜は初詣で何をお願いしてきたのって聞いてたのに、ぼーっとしてさ」
「ああ……そうだったのか」
「まあ、夜のお願いは分かってるけどね。
家内安全、無病息災、学力向上……でしょ?」
「……まあ、そんなところだな」
頷くと、「やっぱりね!」と得意気な笑みを浮かべる心。
……何の代わり映えもしない男だと思われているようで、ちょっと悔しくもある。
「そう言うお前は、どんな願をかけてきたんだ?」
「今年も1年楽しくハッピーに過ごせますようにって!」
「随分アバウトだな……」
「夜がかたくるしいんだよ~」
そう言って、また笑う。新年早々、笑顔の絶えないやつだ。
真面目で固くて無愛想、と友人達によくなじられる俺とは大違い。
(……何もかも違うから、惹かれるんだろうな)
心が笑うたび、俺の胸にあたたかなものが広がる。
そして……俺はこいつに恋をしているんだと、くるしいぐらい、何度も気付かされるんだ。
(……それにしても……願掛け、か)
俺が神前で願ったことは、実は心の予想とは違う。
それは、心が到底思いつきもしないであろうこと。
――今年こそ、心に告白します。だから、力を貸してください。
(俺がそんなことを願ってたなんて、こいつは夢にも思わないんだろうな……)
あまりの望みの薄さに、自嘲が零れる。
本当は、行動なんて起こさない方がいいのかもしれない。
変わらない、付かず離れずの今の距離感を保ち続けていた方が、絶対に平和だ。
ヘタに踏み込んで、拒まれて…… 俺達の幼なじみとしての関係が壊れてしまう可能性も、十分あり得るのだから。
でも――。
「わっ!?」
気付くと、俺の視界から突然心の姿が消える。
……と思ったら、思い切りその場に転がっていた。
「……何をやってるんだ? お前は」
「あ、あはは……コケちゃった」
やれやれ……とため息をついて、心に手を差し伸べる。
そのまま引っ張り上げてやると、こいつは「ごめんね」と苦笑を浮かべた。
「よそ見して喋りながら歩いてるからだぞ。ちゃんと前を気にして歩け」
「はい、ごめんなさい」
「反省してるか?」
「うん」
「なら良し」
……と、そこでふと気付く。
俺の手が、心の手を掴んだままなことに。
(しまった、離しそびれたな……)
心も同じことに気付いたのか、握り合った手にちらちらと視線を向けている。
ふりほどくべきか? と考えていると……。
「あ、あのね、夜」
「ん?」
「たまにはさ、その……
家に着くまでこのままでもいいかな、って思うんだけど……どうかな?」
「……? このままって?」
「だ、だから……っ!」
心は言葉を続ける代わりに、ぎゅうぅ、と繋いだ手に力を込めてくる。
「……痛いぞ」
「あっ、ごめん!」
文句を言うと、あわててパッと手を離す心。
そのままポケットの中に隠されそうになった小さな手を、今度は俺の手が掴まえた。
「よ、夜? いいの? 手、繋いでも……」
(それはこっちの台詞だ)
そう言いたいのを、ぐっと堪えて……。
「……行くぞ」
その手を握り締めたまま、歩き出した。
もしも俺の顔が赤くなっているのに気付かれたら、困る。
そう考えていた俺は、家に着くまでの間、ずっと心よりも一歩先を歩いていて……。
だから、気付かなかった。
俺の後ろで、心が同じ顔をしていたことに。
(……やっぱり、俺はもっと心に近付きたい)
幼なじみを越えた関係になりたい。
この手のぬくもりだけでなく、心のすべてを、俺が独占したいから……。
(来年の初詣には、俺達はどんな関係になってるんだろうな……)
どうか、俺の理想のかたちになっているといい。
そんなことを願いながら、俺達は家までの道のりを、
いつもよりたっぷり時間を掛けて歩いていったのだった。
* * * * * * * * *
「今年も大変な1年だったねぇ……」
「なんだ、その年寄りのような言い草は」
「1年の思い出を振り返ってるんだよ~」
時は巡って、12月31日。
世界は……冥府。
夕飯も寝支度も済ませ、あとは新年を迎えるだけ……となった俺達は、
リビングのソファに2人並んで腰掛け、のんびりとした時間を過ごしていた。
「無事に死神養成学校を卒業して、死神になって……
充実してた分、あっという間だったな~って」
「確かにそうだな……」
色々なことがあった。
『心』を見つけて……もう一度、恋をして。
この世界で一緒にいようと、約束をして。
死神になって、2人だけの暮らしが始まって……。
「……まさか、お前とこんな形で新年を迎えることになるとはな」
「本当だね。近所の神社に初詣するのがお決まりの過ごし方だったのに……」
しみじみとしていたこいつだが、突然「あ!」と声を上げる。
「そういえば、今年のお正月は色々あってそれどころじゃなかったけど……
冥府には初詣って習慣がないのかな?
神社なんてないし、お参りもしないのかな?」
「……お参りも何も……俺達自身も一応、神だしな。神が神に何かを願ってどうする」
「あ、そっか!」
こいつは納得したように、とポンと手を打つ。
いちいち楽しそうなリアクションをするので、見ているだけで面白い。
……などと感心していると、こいつは突然、俺の手を取った。
「じゃあ、これからわたしは、ヨルに新年のお願いをすることにしようかな」
「俺に?」
「うん。だってヨルはわたしの神様みたいなものだからね。
わたしを支え続けてくれる、大事な人だもん」
そう言って、俺の右手を両手で包み込んでくる。
触れた箇所から、こいつの『幸せ』な感情が伝わってきて、思わず鼓動が跳ねる。
「あ、いま、ヨルがドキドキしてるの伝わってきた」
「っ、お、お前の感情だって……伝わってるぞ」
「ふふ、そっか。おそろいだね」
微笑むこいつにふてくされた気持ちになっていると、時計の針が動いた音に気付く。
「あ、年明けだ! よし、お願いするぞ~」
こいつは俺の手を強い力で包み込むと、固く目を閉じ、何かをお願いし始める。
しばらくそうしていたと思ったら、「よし!」と顔を上げた。
「ものすごい形相だったが……何をそこまで必死にお願いしていたんだ?」
「え~? ヨル、神様なのにわからないの?」
「わかるか。ちゃんと伝わるように、言葉にして言え」
「……それは……」
するとこいつは、視線をふよふよと宙に泳がせ始めた。
……頬もなんだか赤く染まっている。
(もしかして……)
「……お前の願い、なんだか分かった気がする」
「え!? そ、そうなの? どうして?」
「さあ……どうしてだろうな。神様だからじゃないか?」
「……ヨル神様、すごい……」
どうやらこいつは心底驚いているらしい。
キラキラとした眼差しで見つめられ、思わず噴き出しそうになってしまった。
(……変わらないな)
小さな頃から、こいつはずっと俺をそんな目で見てくれていた。
『一つ年上の、頼れる幼なじみ』……そのポジションにいる俺に、憧れを抱いてくれた。
それは、冥府で再会した時も変わらなくて……
死神養成学校で過ごした間も、ずっと俺の後をついてきてくれた。
いつも笑顔で、何かしてやるたびに「すごい」と褒めてくれて……
そんな眼差しを送られるたび、
こいつのためにもっと強くなりたい、しっかりした存在になりたい、と願ったものだった。
……今の俺を形づくってくれたのは、こいつだ。
生きていた時も、命を落とした後も……
こいつの存在が俺の支えで、救いで、希望だった。
だから……そんなこいつの願いなら、俺は何でも叶えてやりたい。
願いの内容が、俺に関わることであるなら、なおさら。
「……察しはしたが、お前の口から聞きたい。お前の願いを。言ってみろ」
空いた方の手で、こいつの赤く染まった頬を撫でる。
するとこいつは、おそるおそるといった様子で口を開ける。
「……今年も、たくさんヨルと仲良くしたい。
ずっと一緒にいたい。ヨルの、一番近くにいたいの」
何よりも大切な存在が、まっすぐに俺を求めてくれる。
その幸福に、これまでの様々な苦労が込み上げてきて……少し泣きたくなる。
それを、ぐっと押し留めて……。
「俺もだよ。……今年も、その先も、ずっとお前のそばにいたい」
言葉とともに、キスを贈る。
額に、頬に、そして唇に。
柔らかい肌に何度も唇で触れながら、こいつの身体をソファに倒す。
それから、もう一度触れようとすると……。
「――あ!!」
突然声を張り上げられ、ガクッと肩を落とす。
「……なんだ?」
「大変だよ、ヨル。年が明けたのに、新年のあいさつが出来てないよ」
「ああ……そう言えばそうだったな」
「でしょ? だから……」
「ヨル、新年あけましておめでとうございます!」
俺を見上げながら、相変わらずの満面の笑みを浮かべるこいつ。
その変わらない無邪気さに安らぐ一方で、
ムードを壊されたことにどこか悔しい気持ちもあって……。
「…………」
「ヨル? ――っ!? ~~~~~…………っっ!!??」
……『おめでとう』の代わりに、いつもより長めのキスを贈ってやった。