あやかしごはん After Story 真夏

「あー……やっちゃった……」
額に手を当てると明らかにいつもより熱があることが分かる。
今日は久しぶりに彼女と2人で出かける予定だった。
数日前から、指折り数えて来たくらいこの日を楽しみにしていた。
吟の家に遊びに行った時は、綴に「まーくんお顔がゆるゆるだよ」と言われてしまったくらいだ。
特別な日じゃないし、どこか遠いところに行くわけじゃない。
それでも、彼女と1日一緒にいられるんだと思うと、嬉しくてたまらなかった。
(それなのに……)
今は咳き込みながら、家のベッドの上で寝ている状態だ。
原因は分かっている。

それは昨日の出来事だった――。

配達の途中で、謡と詠が河原で河童とケンカしているのを目撃した。
ケンカを止めなくてはと、原付を停めようとした時に、まあ……うん……その、あれだ……いつものように原付を停め損ねて、豪快に川に突っ込んだ。
当然、原付は壊れたし、謡と詠と河童に呆れられるし、噂を聞きつけた彼女に心配されたあげく怒られるしで……散々な目に遭った。
それでも、明日は彼女とのデートだから、まあこんなこともあるよな! なんてお気楽に考えていた。
家に帰って着替えて夕食を済ませ、寝ようとしたあたりで、悪寒に気付いた。でも、あやかしの気配かな……と、またお気楽に考えていたのがいけなかった。
「我ながらバカ過ぎる……」
呟きは、1人きりの部屋にぽつんと響いて消えた。
「あー……デートしたかったな……」
「手、繋ぎたかったな……」
次から次へと愚痴が零れ出る。大人気ないと思いながらも、止められない。
そんな俺の愚痴に交ざり、コンコンとドアのノック音が部屋に響いた。
(お袋かな?)
そう思い、適当に返事をすると扉がゆっくり開く。
「えっ……?」
そこには彼女が少し赤い顔をして立っていた。その後ろにはお袋がいて、ニヤニヤしながら俺を見てくる。
「ど、どうしたの?」
「心配だったから、お見舞いに来ちゃいました」
照れくさそうに笑うそんな顔も可愛いな……なんて思っていると、お袋が口を挟む。
「あんた、いつの間にこんな可愛い彼女作ったの? 早く言いなさいよ。ねえ?」
彼女の相槌を求めるように首をかしげる。
彼女は、困り笑いを浮かべて「はい」と返事をした。
「お袋、後で詳しく話すからあっち行って。邪魔邪魔」
「ったく、あんたって子は可愛くないわね。でも、まあ、嫁が来てくれそうで母ちゃん安心したわよ。じゃあ、ごゆっくり~」
豪快に笑いながら、お袋は階下へ降りって行った。
見届けてから彼女が静かに扉を閉めて、こちらへ近寄ってくる。
「ごめんね」
「いいんですよ。昨日あんな事があったから、もしかしてって思ってたんです。どうせ、真夏さんの事だから、寒気がしても気のせいかなって思って寝ちゃったんでしょう?」
「は、はい。お見通しでしたか……」
「もちろんです! 真夏さんの事は何でもお見通しです」
得意げに笑ってから、俺に寝るように促すと、お見舞いの品だと言って持って来たものを広げ始めた。
それは吟が作った風邪に効く飲み物だったり、詠が持たせた暇つぶし用の本だったり、綴と謡が2人で描いた『早く元気になって』というメッセージ入りの絵手紙だったりして、俺の気持ちをあたたかくさせる。
「ありがとう~。嬉しいな」
「ふふっ、喜んでもらえてよかったです」
「みんなにありがとうって、伝えてほしいな」
「はい!」
元気のいい返事を聞いていると、俺の方まで元気が出てくる。
「そして、最後にこれは私から……」
彼女がベッドサイドのテーブルに置いてくれたのは、小さなお弁当箱だった。
「これは?」
「真夏さん、食欲ないかなと思っておかゆ作って来たんです」
「ありがとう。すごく嬉しいよ!」
嬉しさのあまり、思わず起き上がってしまう。
「だ、だめです! 寝ててください!」
慌てて、押し戻されそうになる。
出来心だった……ほんの小さな出来心。
押し戻そうとする彼女の手を引き、抱き寄せた。
彼女は俺を押し倒すような姿勢で、俺を見下ろしていた。
その顔が桃色に染まる。
恥ずかしがって離れようとするそれよりも1秒早く腕を伸ばし、彼女を抱きしめる。
「ま、まにゃつさん……」
動揺した彼女が俺の名前を呼ぶ。その声が耳にくすぐったく響き、甘い気持ちにさせる。
「少しだけ……。少しだけこうさせて」
なるべく優しく言う。
「は、はい」
彼女がそうすれば逃げられない事を知っている。大人がずるいのは、経験の差。こればかりは、仕方がない。
「今日、すごく楽しみにしていたんだよ」
「知ってます……私も楽しみにしてました」
「ごめんね。今度また一緒に行こうね」
「はい」
顔を上げた彼女と目が合って、くすりと笑い合う。
照れくさいけど、とても幸せな気持ちになる。
「ねえ、1つお願いしていい?」
「何でしょうか?」
これから俺がするお願いを、彼女は断れない。
それを知っていて『お願い』なんて言葉を使うのは、やっぱりずるいよな。
「キスしたい……」
「真夏さん……ずるいです」
頬を少しふくらませて、睨まれる。
「ダメ?」
「……ダメじゃないです」
顔を伏せて、小さな声で呟く。
「ありがとう。じゃあ、お願いします」
照れたり、戸惑ったり、困ったり、怒ったり……万華鏡のようにくるくる変わる表情を、ずっと見ていたい気持ちをぐっとこらえて目を閉じる。
しばらくして、柔らかい感触を唇に感じる。
(ああ……やっぱり俺、今めちゃくちゃ幸せだ)
この幸せを逃したくないと思って、俺は彼女を思い切り抱きしめた。
風邪を引くのもたまには悪くないな……なんて思ったことは、彼女に言わないでおこうかな。

©honeybee

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